SEB20 『永遠の仏陀』第5章⑦ 永遠の仏陀の光、いまここに〇

[永遠の仏陀の光]

・本講座の目的は、『永遠の仏陀』のまえがきの「本書を読み、味わい、理解し、勝つ実践して、人生に敗れることはありえない」というお言葉を手がかりにして、人生に勝利するために、『永遠の仏陀』を深読することにあります。しかし、『永遠の仏陀』の第5章には、実践することが難しいお言葉が続々とでてきます。このお言葉を探求していきたいと考えています。
・今回は、最終節の「永遠の仏陀の光、いまここに」の節のなかのお言葉です。

仏言

行け、
行きて、わが言葉を伝えよ。
永遠の仏陀の言葉を伝えよ。
永遠の真理を伝えよ。
永遠の法を宣べ伝えよ。

永遠の仏陀の光が、
ここに、
いまここに、
臨んでいるのだ。

信ぜよ。
見よ。
聴け。
そして、
知るのだ、この言葉の力を。
知るのだ、この言葉の意味を。
知るのだ、この希望の福音を。
すべては、ここに始まり、
すべては、ここに終わる。

永遠の仏陀を信じ切る時に、
あなたがたもまた、
永遠の生命として
生き続けることになるのだ。

 〇 仏言、修行、伝道

・仏言は「すべてのすべて」なのです。仏言をどう受け取るかは、一人ひとりの悟りにかかっています。上の仏言の真の意味を知るには、「精進に精進を重ねるしかない」と思います。
(具体的には、一人ひとりが、今ある環境の中で、信仰心をもち四正道を実践することだと思います。)
・そして、私ちのなすべきことは、仏陀の言葉を伝えることだけです。

 

SEB19 『永遠の仏陀』第5章⑥ 人類の選択〇

[人類の選択]

・本講座の目的は、『永遠の仏陀』のまえがきの「本書を読み、味わい、理解し、勝つ実践して、人生に敗れることはありえない」というお言葉を手がかりにして、人生に勝利するために、『永遠の仏陀』を深読することにあります。しかし、『永遠の仏陀』の第5章には、実践することが難しいお言葉が続々とでてきます。このお言葉を探求していきたいと考えています。
・今回は、「人類の選択」の節のなかのお言葉です。

仏言

もう一度、くり返して言っておく。
すべては、おまえたちの選択であるのだ。
この地球を創り、地球に人類を住まわせたころより、
「この法の本に、仏国土を創り、幸福な生活を営め」というのが、
わが教えであった。
その事実を、もう一度、私はおまえたちに告げているのだ。
それを、信じてか否かは、
おまえたちの選択にかかっている。
しかし、仏国土実現の意欲なく、努力なく、希望なく、
停滞と堕落を選び取るならば、
人類を待ち受けているのは滅亡である。
それだけを、私は、はっきりと言っておく。(p237)

 〇 人類全体に対する厳しいお言葉の受け止め方

・上のお言葉も厳しいお言葉です。このお言葉を受けるたびに、心が揺れます。自分としては、信じているつもりです。しかし、怠惰であるのも事実です。また、自分一人が努力をしてもできることは知れているような気がします。そうかといって、人類の滅亡を他人のせいにするわけにもいきません。

・こうしたときにどうするかは、⇒SEB14「『永遠なるものの影をつかむ」でお話をした通りです。「プロセスを大切にして、何度でもやり直す覚悟をもってチャレンジする」ということです。
・この記事を書いているときに、ちょうど届いた月刊誌の「心の指針」に、「たとえ世界から希望が消えたとしても・・・」が説かれていました。私は、この「心の指針178」の意味を深く理解するところまではいっていませんが、「間違っても間違っても立ち直りのチャンスが与えられている」ということは言えるのだと思います。これからの世界がどうなるのかはよくわかりませんし、私(たち)が迷っているのも確かだと思いますが、信仰がある限り、救われるのも確かだと思います。
・信じて、自分の道を進むしかないと思っています。

 

SEB18 『永遠の仏陀』第5章⑤ 栄光の瞬間〇

[栄光の瞬間]

・本講座の目的は、『永遠の仏陀』のまえがきの「本書を読み、味わい、理解し、勝つ実践して、人生に敗れることはありえない」というお言葉を手がかりにして、人生に勝利するために、『永遠の仏陀』を深読することにあります。しかし、『永遠の仏陀』の第5章には、実践することが難しい仏言が続々とでてきます。この仏言を探求していきたいと考えています。
今回は、「栄光の瞬間」の節のなかのお言葉です。

仏言

小さな小さな心を捨て去り、
大きな大きな心と一つになることだ。
おまえたちが人間として生まれ、育ち、生きてきて、
規定しているところの、
人間という名の、思いの枠を取り払い、
宇宙を創りたる仏の心と一つになれ。
心の縛りを取り除き、
肉体の殻を脱ぎ去り、
仏の心と一つとなれ。
さすれば、おまえたちの心のなかにも
栄光の瞬間がよみがえってくることだろう。
おまえたちにも、
この太陽系を創った時の悦びが、
この地球を創った時の悦びが、
伝わってゆくに違いない。(p232)

〇 仏の心と一つとなる

・常識的には、私たちに、「太陽系を創った時の悦び」を感じることや、「地球を創った時の悦び」を感じることは、難しいと思います。しかし、仏が、わざわざ、この教えを説かれたということは、深い意味があるはずです。したがって、私たちは、「自分の小さな小さな心を捨て去り、仏と一つとなる」チャレンジをすべきだと思います。

・小さな心を捨て去る方法として、私が実践しているのは、「すべてはささいなことである」と意識することです。仏教の教えでは、「この世は仮の宿りである」と説かれています。この世のできごとは、すべて、あの世の真実の世界で生きている霊から見れば夢幻のようなものです。

・幸福の科学の教えには次のような教えがあります。(言葉は正確ではありません。)

あなたがたが、取り返しのつかない大失敗をしたと思っていても、あの世の霊から見れば、小学生が学芸会の練習で、セリフを間違えたようなものです。

・なんと、(私たちにとって)「取り返しのつかない大失敗」が、(仏の目から見たら)「学芸会の演技で間違えた程度」ではなく、「学芸会の練習で間違えた程度」なのです。
(つまり、「取り返しのつかない大失敗と見えるのは邪見」、「ささいなことと見るのが正見」ということです。)
・私は、自分が失敗したと思ったときは、いつも、このお言葉を思い出します。
(「真理を実践する」「反省をする」というのはこういうことです。)

 

SEB17 『永遠の仏陀』第5章④ 無限の向上を目指す〇

[無限の向上を目指せ]

・本講座の目的は、『永遠の仏陀』のまえがきの「本書を読み、味わい、理解し、勝つ実践して、人生に敗れることはありえない」というお言葉を手がかりにして、人生に勝利するために、『永遠の仏陀』を深読することにあります。

・しかし、『永遠の仏陀』の第5章には、実践することが難しいお言葉が続々とでてきます。このお言葉を探求していきたいと考えています。
・今回は、「一千億年の歴史」の節のなかのお言葉です。

仏言

はるかなる、一千億年の、その昔に、
この宇宙を創らんとし、
その構想を練っていた時に、
我は思った。

すべての者よ、
無限の向上を目指せ。
しかして、すべての者よ、
おまえは、ひよわな存在であってはならぬ。
我は、おまえたちをより優れたる者となすために、
おまえたちには、厳しい試練も与えよう。
砂鉄変じて、鋼となすためには、
厳しい火の試練も、
厳しい水の試練も、
厳しい槌の試練も与えよう。
しかして、強くなれ。
しかして、無限に鍛えられてゆけ。
しかして、無限に美しく、
しかして、無限に善きものとなれ。

 〇  無限の向上を目指すには

・上の仏言も厳しいお言葉です。前回は、「(その性格や能力にしたがって)一人ひとりの中道がある」というお話をしました。

・今回は、その点について、もう少し具体的にお話をしたいと思います。

私の中道

・私の中道に対する考え方は、以下の三点です。

① できないけど目指す
・一点目は、「できないことはわかっているけど目指す」ということです。言いかえれば、「仏になれないことはわかっているけど、仏になることを目指す」ということです。
(本サイトで再三再四お話をしているように、仏弟子の使命は、「正しき心の実践」ではなく、「正しき心の探究」です。「ファイティングポーズは永遠に崩さない」ということです。)

② 逆発想の真理
・二点目としては、今世においては、「どのようにしたら真理を実践できるのか」と探求するのではなく、「なぜ、真理が実践できないのか」を徹底的に探究をし、後世への遺産を残したいと思っています。

(「来世の自分へのメッセージ」を遺し、来世「真理を実現して成功する自分」を目指したいと思っています。以前、「悟りの功徳はやり直しができること」というお話をしましたが、単なるやり直しではなく、「教訓を積みながらやり直したい」ということです。)

③ 一割増しの自分
・三点目に、今世の私の真理の実現として、「一割増しの目標」を掲げようと思っています。「思いが実現する」は、長期の真理であることを確認しています。短期目標としては、一割増の自分を目標にします。

④ 「一日一生」の幸福
・最近の私の感触としては、「『真理に生きる』ということと、『一瞬一瞬の幸福(光)を感じる』ということがかなり近いものである」と感じています。

SEB16〇 『永遠の仏陀』第5章③ 教えを、深く深く、理解する

 

 

[教えを、深く深く、理解する]

・本講座の目的は、『永遠の仏陀』のまえがきの「本書を読み、味わい、理解し、勝つ実践して、人生に敗れることはありえない」というお言葉を手がかりにして、人生に勝利するために、『永遠の仏陀』を深読することにあります。
・しかし、『永遠の仏陀』の第5章には、実践することが難しいお言葉が続々とでてきます。
・このお言葉を探求していきたいと考えています。
・今回は、前回に引き続き、「仏は法なり、仏は教えなり」の節のお言葉を味わいます。

仏言

くり返し、繰り返し、言う。
仏とは、姿形なきもの。
仏とは、人間を超えたるもの。
しかして、霊を超えたるものである。
仏とは、人間的なる感覚を超越し、
この宇宙を統べるところの、
教えそのものとなっている存在なのだ。

おまえたちは、
その手にしているページの一枚、一枚に、
仏の姿を見ているのである。
仏とは何であるかを知りたくば、
わが説く教えを、深く深く、理解戦とせよ。(p224-225)

 〇 どうすればよいのか

ほんらいの姿と現実の姿

・まさしくこの仏言が私の人生のすべてであるはずです。仏の教えを理解することが、私の人生の目的です。そのために「命をかけたい」という思いがあります。しかし、なぜか、私の毎日は、真理の探究に徹し切れていません。
・今回は、その原因を追究して、「自分のあるべき姿」を考えていきたいと思います。

私の魂が欲しているもの

・「真理の探究」は、私の魂の奥から出ている願いだと思います。私は「真理の探究」が好きです。時間があれば、ふつうに「真理の学習をしたい」と思います。そして、今は、一日二十四時間、自由な時間があります。どう考えても、理想の生活が送れるはずです。
・しかし、なぜか、「命をかける」ほどの熱意が出てきていないのです。

マイナスの要因

・その理由は、肉体中心の考え方がでてきて、生きやすく生きたいという思いに負けているような気がします。「気がする」だけで、断言できないのは次のような理由があるからです。私の魂には、まじめなお坊さん的要素と、楽が好きな仙人的要素があります。
・この仙人的な要素が、「命をかける」ほどの努力を否定しているような気がしています。

縁起の理法と努力精進の心

・それでは、「仙人的考え方を100%否定すべきか」というと、そうとも思えません。仏は、発展を求めてあらゆる種類の人間をつくったのですから、まじめなお坊さん的な生き方だけが、仏の願われている生き方ではないような気がします。
・一つの例として、仏教的には、「縁起の理法」、「努力精進」が絶対の法則ですが、この考えを否定するような事実もないわけではありません。たとえば、スポーツの世界などでは、無理をしすぎて、体をこわして選手生命を絶たれた人間は後を断ちません。あるいは、「子供のころから努力ひと筋でがんばったのに、(才能がなくて)プロになれなかった野球選手」というような話もよく聞きます。
(ちなみに、「縁起の理法」は、絶対に正確に働くので、無理をしすぎて失敗をした人も、来世も含めて考えれば、努力は無駄になっていないはずです。次に生まれてくるときには、才能のある子どもに生まれてくる可能性が高いです。逆に言うと、「努力をしても成功できないのは、前世の努力が足りなかったから」ということだと思います。)

一人ひとりの中道

・つまり、やみくもに努力をするのがよいのではなく、「(その性格や能力にしたがった)一人ひとりの中道がある」ということだと思います。私自身は、今、その中道を探しているところです。そして、その中道は、来世・来来世までを考えた中道です。

 

 

SEB15 『永遠の仏陀』第5章② 仏は法なり、仏は教えなり〇

 

[仏は法であり、教えである]

・本講座の目的は、『永遠の仏陀』のまえがきの「本書を読み、味わい、理解し、勝つ実践して、人生に敗れることはありえない」というお言葉を手がかりにして、人生に勝利するために、『永遠の仏陀』を深読することにあります。しかし、『永遠の仏陀』の第5章には、実践することが難しいお言葉が続々とでてきます。このお言葉を探求していきたいと考えています。

・少し長いですが、仏言を味わいます。

仏言

このわが教えは、
単に、おまえたちの心を救うがためにのみ、
説かれているのではない。
この教えを本として、全宇宙は統べられているのだ。
この教えを実現すべく、
人類の過去、現在、未来があり、
人類の過去・現在・未来があり、
人類なき過去にも、
この教えは厳然としてあり、
人類なき未来にも、
また、あるであろうということを、
私は明言しておく。(p219)

教えとは、姿を変えたる仏そのものであるということを、
おまえたちは知らなくてはならない。(p220)

仏とは、法であり、
仏とは、教えであるのだ。
わが説く、この法こそが、
わが説く、この教えこそが、
仏の実体の本質であるのだ。
わが教えを学ぶ時、
おまえたちは仏の姿を見たのである。
わが教えを聴くとき、
おまえたちは仏の声を聴いたのである。
わが教えを理解する時、
おまえたちは仏の心を理解したのである。(p222)

〇  私がチャレンジしようとしていること

結論

・「仏の教えが、私たちの存在を超えた存在である」ということは、「私たちは、仏の教えを完全に理解することはできない」ということです。しかし、それでも、仏は私たちに向かって、「仏の教えを理解せよ」と説かれています。したがって、仏の教えを理解するように努力することが仏弟子の道だと思います。

〇 実践の内容

・私が実践しようとしていることは、以下の通りです。

① 法身を感じようとする
・仏には、「応身」(地上の仏陀)「報身」(天上界の仏)「法身」(法としての仏)の三相があります。私は、「法身」を感じようと努力をしています。

② 仏光物理学の三つのテーゼ
・私は、仏光物理学の三つのテーゼを中心に、「法身」を感じようとしています。特に意識をしているのが、「縁起の理法」「念いは実現する」「波長同通の法則」です。世の中に起きていることは、すべて、「縁起の理法」にしたがって起きています。私たちの心で念ったことは実現します。私たちの思いは、波長同通であの世の世界に通じます。
・この三つを、いつも感じながら、人生をより良き方向に進めようとしています。

③ 朝の瞑想と『正心法語』
・具体的な方法としては、朝に瞑想をしているときに、「この宇宙に光(=法=仏)が遍満していること」を感じようとしています。『真理の言葉・正心法語』を読誦する時も、そのイメージを持っています。

〇 私が実感していること

・私は哲学が好きで、理系の研究者でもありますので、抽象的な言葉を感じる力は鍛えてきたと思います。(たとえば、数学の得意な人間は、運動を表す数式を見て物が動く姿を想像できます。)哲学的な言葉も、死んだ理論ではなく、「生きた運動法則」であると考えると理解できることが多くあります。
・抽象概念が運動している姿を感じようとする習慣をつけていると、少しづつ、見えないものが見えるような感じがしてきます。
・朝の瞑想、『正心法語』の読誦、真理の実践を重ねることによって、少しづつ見えないものが見えてくるようになるのではないかと思っています。

 

SEB14 『永遠の仏陀』第5章 永遠なるものの影をつかむ〇

 

🙂 実践が難しい仏言

・この記事は、シリーズSEB「『永遠の仏陀』講座」の記事です。

・シリーズSEBでは、『永遠の仏陀』の深読にチャレンジします。
・今回は、第5章「永遠の仏陀」を学びます。

・本講座の目的は、『永遠の仏陀』のまえがきの「本書を読み、味わい、理解し、勝つ実践して、人生に敗れることはありえない」というお言葉を手がかりにして、人生に勝利するために、『永遠の仏陀』を深読することにあります。

・しかし、『永遠の仏陀』の第5章には、実践することが難しいお言葉が続々とでてきます。

・たとえば、第5章のはじめの数ページには、次のような教えが説かれています。

仏言

諸々の比丘、比丘尼たちよ。
この、わが懐かしき声を、
魂の奥底にまで刻んでおくがよい。(p214)

この地上にて生命ある時に、
わが声を聴く者は、幸いである。
すべてのものを打ち捨ててでも、
この幸いなる瞬間を選び取るべきなのである。(p214)

あなたがたは、よくよく、この価値を知らなくてはならない。
わが語る、この言葉の、片言隻語さえ見逃してはならない。(p216)

・どのお言葉も、言葉の意味はわかります。
・「実践したい」と思います。
・しかし、現実には、実践できないような気がしてしまいます。

・そこで、今回からは、「一見、実践が不可能なようなこうした教えに対して、私が、どのように対応していこうとしているか」というお話をします。

 🙂 私のチャレンジしようとしていること

結論

・私のチャレンジしようとしていることの結論は次の通りです。

「わからないことをわかり、かつ、わかろうとする」
(あるいは、「できないことが知り、かつ、『できる』ことを目標にする」ということです。)

・これは、言葉の遊びでも、きれいごとでもなく、私が真剣に実践しようとしていることです。

根拠

・こうした結論に至った法的な根拠は、次の三つです。

① 幸福はプロセスにある
・当サイトのメインテーマの一つですが、「幸福はプロセス」にあります。
・幸福の科学の信者の戒は、「正しき心を持っていること」ではなく、「正しき心の探究」です。
・手に入れることではなく、求めることが大切なのです。

・仏への道は「無限の道」です。
・無限の道を歩むことが、仏弟子の使命です。

② 悟りの功徳は「やり直しができること」
・『太陽の法』の第4章に、「悟りの功徳とは、人生のやりなおしがきくところにある」と説かれています。

・私たちには、無限の時間が与えられています。
・何度でも、チャレンジできます。
・何度でも、やり直すことができます。

③ 永遠の影をつかむ
・仏は、『永遠の仏陀』の「あとがき」、次のように説かれています。

言葉の流れは、第5章の『永遠の仏陀』に入って、激しく、かつ、急となる。読者は、仏陀の奥にある「エル・カンターレ」の意識と姿を、一瞬、垣間見ることができる。しかし、深くは理解しなくてよい。釈迦とキリストの奥にある「光体」の煌めきを、かすかに、感じとるだけでよい。(p250)

・チャレンジし続けることにより「影がつかめる」と思っています。

 

SEB13 『永遠の仏陀』第4章③ 心の浄化〇

[心の浄化]

第4章の三つの要点

・第4章「跳躍の時」で学びたい要点は、以下の三つです。

① 奇跡の時
・奇跡を感じることができればできるほど、エネルギーがでてきます。

② 歓喜の時
・私たちには、無限の可能性があり、永遠の時間があり、努力をする自由が与えられています。

③ 心の浄化
・無限の可能性を開花させる秘密は、心を浄化することです。

・今回は、三つ目の「心の浄化」について学びます。

 〇 「ダイヤモンドの心」を輝かせるための三つのステップ

・『永遠の仏陀』では、「魂の跳躍を果たすためには、自分の仏性、ダイヤモンドの心を輝かせること」と説かれています。ダイヤモンドの心を輝かせるには、次の三つのステップが必要です。

① 心の浄化
・まず、よこしまなる心を取り去るために、反省をすることです。

主のお言葉

仏法真理を知った第二の跳躍の時、
第二の誕生の時、
心すべきことは、いったい何であるのか。
まず、第一にこころがけねばならないことは、
過去の自分を見つめるということなのだ。
過去、己の生きてきた道筋をたどって、
一つひとつ、丹念に反省してみることだ。(p179)

② 純粋な心、仏性の発見
・そして、魂の奥にある純粋な心、仏性を発見することです。

主のお言葉

初めて仏法真理を知った者は、
その仏法真理を、
カンテラのごとく、高く掲げることが望ましい。
すなわち、ここにおいて、
決死の覚悟をし、
志を高く置き、
どこまでも、どこまでも高く、
仏法真理を求めるのだ。(p188)
仏法真理という名のカンテラを掲げるのだ。
さすれば、落とした金貨が見つかるであろう。
その金貨とは、
おまえたちの善性であり、仏性である。
ダイヤモンドの心であある。
おまえたちの良心である。
これを探し出すのだ。(p189)

③ 反省と純粋な心の発見の「循環による発展」
・「①の反省」と、「②の純粋な心の発見」は、一回だけすればすむという性格のものではありません。いくら頭で「正しいこと」がわかっても、それを実現するには、「魂の傾向性」を変えなければいけません。「反省」と「純粋な心の発見」を繰り返し実践することにより、仏性の顕現が魂の傾向性になるまで、心を磨き続ける必要があります。

主のお言葉

魂が跳躍する前には、土台を固めよ。
これが大事なことなのだ。
邪悪なるものが、そのなかにないかどうかを振り返るのだ。(p206)
こうして、日々、己の魂の生地を洗濯するのだ。
魂の生地をきれいに洗濯し、それを乾かしてこそ、
見事な色柄をつけることも可能であるのだ。
白い生地には、さまざまな絵を描くことができるのだ。(p206)

私が体験していること

・私の体験の結論を言えば、「欲望にとらわれない心」も、「仏性(純粋な心)」も、自分なりに発見はできていると思います。

「純粋な心」とは、真理の思いが心の底からあふれ出てくる心です。
・そうなると、少々のことで、真理の実践の思いを止めることはできません。

・しかし、たいていは、「真理の思い」が心からあふれ出るようになる前に、不純なものが混じり、真理と反対のもの(怠け心、貪欲)に負けてしまします。

・別の言葉で言うと、「頭で理解した真理は、弱き心に負けて、実践できない」のですが、「純粋な心から出てくる真理の実践の思いは、止めることができない」ということです。

・つまり、徹底して「純粋な心」を探求することが、「真理の実践」の鍵であると考えています。

 

SEB12 『永遠の仏陀』第4章② 歓喜の時〇

[歓喜の時]

第4章の三つの要点

・第4章「跳躍の時」で学びたい要点は、以下の三つです。

① 奇跡の時
・奇跡を感じることができればできるほど、エネルギーがでてきます。

② 歓喜の時
・私たちには、無限の可能性があり、永遠の時間があり、努力をする自由が与えられています。

③ 心を浄化する
・無限の可能性を開花させる秘密は、心を浄化することです。

・今回は、二つ目の「歓喜の時」について学びます。

〇 歓喜の時

『永遠の仏陀』では、次のように説かれています。

考えてもみよ。
地上に生まれてくる前の魂たちが、
いかに生き生きとしているかということを。
いかに悦びに満ち満ちているかということを。
この魂たちは、まさしく歓喜のなかにある。
もう一度、まったく白紙の状態で、
地上に生まれ変わることができるというのだ。
この悦びは、いかばかりであろうか。
それは、天にも舞い上がらんばかりの気持ちであるのだ。(P175)

〇 魂の悦び VS 肉体の悦び

・私たちには、無限の可能性があります。無限の時間が与えられています。何度失敗をしてもやりなおしができるチャンスが与えられています。
・私たちの魂は、主によって、幸福になるように創られているのです。
・しかし、地上に生まれた私たちは、この真実を忘れてしまいます。その理由は、「魂の悦び」を忘れ、「肉体の悦び」にとらわれるからです。「肉体の悦び」にとらわれると、この地上人生は、「歓喜の場」ではなく、「苦しみ」の場になります。

・それでは、「魂の悦び」を手に入れるにはどうしたらよいのでしょうか。「魂の悦び」とは、努力をする自由です。真理を学ぶ自由です。真理を実践する自由です。ポイントは、「真理の実践」が、何かの結果を手に入れるための手段ではなく、「真理の実践」自体を幸福と感じることができるかどうかです。

 

 

SEB11 『永遠の仏陀』第4章① 奇跡の時〇

[奇跡の時]

第4章の三つの要点

・第4章「跳躍の時」で学びたい要点は、以下の三つです。

① 奇跡の時
・奇跡を感じることができればできるほど、エネルギーがでてきます。

② 歓喜の時
・私たちには、無限の可能性があり、永遠の時間があり、努力をする自由が与えられています。

③ 心を浄化する
無限の可能性を開花させる秘密は、心を浄化することです。

・今回は、一つ目の「奇跡の時」について学びます。

〇 奇跡の時

・私たちは、今、「永遠の転生」のなかで二度とこない大変貴重な時間を過ごしています。

『永遠の仏陀』では、次のように説かれています。

おまえたちにとって、とても大切な話をするこよう。
おまえたちの魂が飛躍するために、
どうしても必要な事柄を述べたいと思うのだ。(P160 )

よくよく心を落ち着けて、
私の話を聴いてほしいのだ。
少なくとも、おまえたちは、
この、私の書いた書物を、
いま、手に取って読んでいるはずなのだ。
私が書いた、この書物を、
手に取って読むということ自体が、
大変なことであるのだ。
それは、まさしく、おまえたちにとって、
過去と未来を分ける、
一つの事件であると言ってもよいであろう。(p162)

人類の永い歴史のなかでも、
いまという時ほど重要な時はない。(p163)

仏の教えに振れて、
みずからの人生がまったく違ったものになるということは、
それはまさしく、奇蹟の時であるということなのだ。(p164)

・今は、人類史のなかでも、二度とこない奇跡の時なのです。

〇 奇跡の時をいかにすごすか

・それでは、この「奇跡の時」をいかに過ごせばよいでしょうか。その要点は、以下の通りです。

① 奇跡を感じる
・一番大切なのは、「奇跡の時」を頭で理解するだけではなく、心で感じとることです。
・心で感じとった分だけ、エネルギ―が出てきます。
② 時間をとる
・奇跡を感じるには、時間をとる必要があります。まず、毎日「お祈り」をして、奇跡を感じとろうとすることです。(「感謝の祈り」がおすすめです。)バイブレーションの高い主のご法話の拝聴もよいと思います。その他、瞑想や支部精舎への参拝が有効です。
③ 体力をつける
・ある程度の瞑想をするには体力が必要です。特に、若いころは軽視しがちですが、心して、体力をつける習慣をつけておいた方がよいと思います。

人生の矛盾の解決法について

・人生には、様々な選択がありますが、その選択が矛盾を生みます。

・「発展」をとると、忙しくなって、信仰生活の時間や、睡眠時間が十分にとれなくなります。
・時間に余裕のある生活を選択すれば、経済的問題か、体力の問題が出てくると思います。

・そうした矛盾に対する、当サイトの提唱は、「リズムのある習慣化による弁証法的発展」です。

・真理を、春夏秋冬のリズム光の「充電」と「放電」のリズム「進歩」と「調和」のリズムをつくる方法として学ぶことです。
(参考 一般ページ「『黄金の法』深読講座 春夏秋冬のリズムをつくる)