MS233c 幸福になれないソーニャの自己犠牲的な生き方

【幸福になれないソーニャの自己犠牲的な生き方】

・前回は、自由奔放に生きるナターシャと自己犠牲に生きるマリヤの愛のお話をしました。
・マリヤはキリスト教的な精神を発揮した自己犠牲的な生き方をしましたが、最後はそれなりの幸福を手にしています。

・「戦争と平和」では、同じ自己犠牲的な生き方をしても不幸になる人が描かれています。
・それはソーニャです。
・ソーニャはナターシャのいとこで、ロストフ家(ナターシャの家)に引き取られた財産のない娘です。
・ソーニャはロストフ家のために尽くすのですが、だれにも感謝されずに、幸福になれません。

・ソーニャに関して、ナターシャとマリヤの次のような会話があります。

ナターシャ:「あなたはよく聖書をんでらっしゃるでしょう。あのなかにまるでソーニャのことを言ったようなところがありますわ。」
マリヤ:「どんなとこ」
ナターシャ:「もてるものには与えられ、もたざるものはそのもてるものをも奪わるべし。っていうのよ。覚えてて?あの人はもたざるものなのよ。・・・あの人はあだ花よ。」

・「なぜ、ソーニャの自己犠牲的な精神があだ花になるのか?」ートルストイは詳しくは語ってはいませんが、おそらく、「弱者に対する自己犠牲的な精神は意味があるが、強者に対する自己犠牲はあだ花になる」ということを言っているのではないかと思います。

 

 

MS233b 自由な愛に生きるナターシャと、自己犠牲の愛の人マリヤ

【自由な愛の人ナターシャと自己犠牲の愛の人マリヤ】

・前回に引き続いて、「戦争と平和」の登場人物の人生を考えます。
・今回は、ナターシャとマリヤの愛の形を考えます。

・ナターシャもマリヤも愛を求める貴族の娘で、最後は二人とも愛の人になります。
・しかし、それまでの道筋はまったく逆です。

・ナターシャは自分の心のおもむくままに愛を求め、様々な経験をした結果ほんとうの愛を手に入れます。

・幼いころに見てくれのよいボリスに恋をしたり、破廉恥漢のアナトーリにたぶらかされて駆け落ちを試みたりします。
・その結果、自分の愚かさにあきれ果て自殺をこころみたり、抜け殻同然の生き方をするのですが、最後は、誠実な愛を捧げるアンドレイ侯爵を看取ります。
・アンドレイ侯爵の死後は、神の愛を体現しようとするピエールに愛を捧げる人生を送るようになります。
(つまり、現実に直面してほんとうの愛をつかんだ人です。)

・一方マリヤは、幼いころから信仰心があつく、キリスト教的(カトリック的)な生き方をします。

・自分の気持ちをおさえ、神のため、家族のため、農民のために生きる人でした。
・最後は、純朴な青年ニコライにみそめられ苦しみも多いが幸福もある平均的な結婚生活を送るようになります。
(つまり、生き方自体は子供のころから一貫していますが、現実から逃げているところがあります。)

・トルストイから見れば、「ナターシャの姿が人間本来の理想の愛の姿」なのだと思います。
・マリヤの姿は、当時のキリスト教のよいところと悪いところを現したものと考えられます。

MS233a 心の自由を求めたピエールとこの世の成功を求めたアンドレイ

・この記事は、シリーズMS「奇跡物語」の記事です。
・本節では、絶対幸福に到る道を深く考えるために、苦しみの底をぶち抜いて幸福になった人々の話を紹介しています。

③ 「戦争と平和」の登場人物のそれぞれの苦しみと幸福

【心の自由を求めたピエールとこの世の成功を求めたアンドレイ】

・今回からは、「戦争と平和」の登場人物の幸不幸を考えます。

・「戦争と平和」の登場人物の数は559人だそうです。
・トルストイは様々なタイプの人間の「幸福に到る道」、「不幸に陥っていく道」を描いていますが、その対立構造で見ていくと人生の意味が見えてくると思います。

・はじめに、心の自由を求めたピエールと、この世的な成功を求めたアンドレイの「絶対幸福への道」の違いを考えます。

・ピエールは、理を探究する伯爵です。
・「人生とは何なのか」というようなことを考える思索的な人間です。
・莫大な遺産を手にしながら、この世的に不器用な生き方をして苦しみます。
・フランス軍につかまって、捕虜収容上の極悪の環境下を経験して、それをのり越えて悟りの境地に達っします。
(私の印象では、悟りにいたるまでのお釈迦様の生き方と似たようなところがあります。)

アンドレイは、優秀な青年侯爵です。
・最高司令官も認める優秀な軍人ですが、最後は戦争で大きな傷をうけて死んでいきます。
(私の印象では、ヘルメス様*と似たようなところがあります。)

*ヘルメス様:ギリシャ神話の神様、幸運と富を司る愛と発展の神様。旅人と商業の守護神とされている。

・ピエールもアンドレイも、最後は「幸福の境地」を知りますが、その知り方は対象的です。

・ピエールは霊的な人間で、死刑直前まで行き、死の恐怖から脱することにより悟りを得ます。
(つまり、この世の最悪の環境のなかで「心の自由」を手にします。

・一方、アンドレイはこの世的な人間で、死を覚悟することにより、執着から離れ悟りの境地に入れます。
(つまり、あの世に旅立つことにより幸福を手にします。

MS232c 愛、理想、積極思考

【愛、理想、積極思考】

・デール・カーネーギの「道は開ける」から学ぶ「幸福になるパターン」の三つ目は、「愛、理想、積極思考」ということです。

「道は開ける」の中で語られている、「愛、理想、積極思考」に関する文章を紹介します。

・はじめは、積極思考です。
・カーネーギ―は、次のように言っています。

あらゆるできごとの最も良い面に目を向ける習慣は、年間一千ポンドの所得よりも価値がある。

・本章の第1節で「念いは実現する」というお話をしましたが、積極思考、光明思想は心の光を引きいれます。

・「道は開ける」には、次のような文章もでています。

刑務所の鉄格子の間から 二人の男が外を見た
一人は泥を眺め 一人は星を眺めた

・積極思考の一番良い形は理想を描き、愛の実践をすることです。

「道は開ける」には、二十三年間も病床にふせっていたにもかかわらず幸福な人生をすごしたフランク・ループ博士の話が紹介されています。

長年病床にありながら、いかにして人生を楽しんでいるのであろう?・・・
彼は、「私は奉仕する」という言葉を座右の銘とすることによって、楽しみを得ているのだ。

・ループ博士は、病気に悩む人のために見舞いの手紙を書き、文通組織をつくり、それを国際組織にまで発展させたのです。

MS232b 信じる

【信じる】

・デール・カーネーギの「道は開ける」から学ぶ「幸福になるパターン」の二つ目は、「信じる」ということです。

・デール・カーネーギ―の思想の根本にあるのは幼いころの暮らしと両親の生き方です。
・カーネーギ―は、次のように言っています

家には年に一度豚を売ったとき以外、現金はほとんどなかった。・・・
両親は一日十六時間も精一杯働いたが、それでも借金に追われどおしで、不運に苦しめられた。ごく幼いとき、大洪水でトウモロコシ畑や牧草畑が水をかぶって滅茶苦茶になり、五年も六年も穀物が打撃を受けたことを覚えている。・・・
父は悩んだ。身体をこわした。食欲がなくなり、毎日畑で力仕事をしているにもかかわらず、食欲増進剤のお世話になる始末であった。・・・
ある日、父は橋の上に馬車を止め、長いあいだ川の流れを見つめながら立っていた。-いっそ、ひと思いに飛び込んでケリをつけてしまおうかと思案しながら。
後になって父は、そのとき飛び込まなかったのは、神を愛し、十戒を守ってさえいれば何もかも良くなると、いつも誠心誠意信じきっていた母のためだったと、私に語ったことがある。母は正しかった。最後には何もかもうまくいった。

・また、「道は開ける」には、失意落胆にうちのめされていた書籍セールスマンの話が出ています。

・ジョン・アンソニーは、法律事務所を閉鎖して、周到な準備をして法律書籍の販売会社をつくりました。
・しかし、書籍はいっこうに売れず、販売支配人から前渡金の停止の通告が来て、旅先のホテルの勘定も払えず、帰りの汽車賃もない状態でした。

私はトボトボとホテルの部屋へもどってきた。私は完全にうちのめされてしまった。意気阻喪して、どの道をとればいいのかわからなかった。生きようと死のうと、どちらでもよかった。

・そんな状態でアンソニーは、アウグスティヌスと同じように聖書の一節に出会います。
・そこには、次のように書かれていました。

何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことを思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの父は彼らを養っていて下さる。・・・まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。

「私が祈りを捧げ、これらの言葉を読んでいたときに、奇跡が起こった。神経の緊張が消え去り、不安・恐怖・悩みは、心暖まる勇気・希望・輝かしい信念に変わった。
私はホテルの勘定を支払う金さえなかったけれども幸福だった。私はベットにはいって、実に数年ぶりにグッスリと眠ったー完全に悩みから解放されて。

・そして、翌日から、なんと!、アンソニーの書籍販売は快進撃をはじめたのです。

MS232a 人生の底を知る

・本節では、絶対幸福に到る道を深く考えるために、苦しみの底をぶち抜いて幸福になった人々の話を紹介しています。

② デール・カーネギーの「道は開ける」

【人生の底を知った人】

・今回からは、デール・カーネーギの「道は開ける」に出てくる人々を紹介したいと思います。

・人間が幸福になるパターンは三つあると思います。

・一つ目は、「人生の底を知ること」です。

・「道は開ける」では、人生の底を知ったテッドという漁船の乗組員の話が出ています。

・テッドは、底引き漁船の乗組員となり、過酷な環境下で一日二十四時間働くような状態が一週間続くようなことがありました。そして、次のように言っています。

しかし、以上のような仕事も「コルク線」と呼ばれていたものを引き上げる仕事に比べたら、まったくの遊びだった。

・「コルク線」とは、「ビクともしない」というか、下手をすると自分が海の方へ引っ張られそうになるほど重いコルク製の浮き子や帯綱を引き上げる作業で、彼は極度の疲労と激痛の中で何週間も過ごしたのでした。
・仕事が終わった後は、疲れのために痛みをかかえながら眠り続けるような状況でした。

・しかし、テッドは、「その経験をしたおかげで一切の悩みがなくなった」と言います。

私はこうした苦痛と重労働に耐えられたことを今でも喜んでいる。おかげで、すっかり悩みを忘れてしまったからだ。今では何かやっかいな問題が起きると、悩むかわりにこう自問してみる。「エリクセン、こいつとコルク引き上げ作業とどっちがやっかいだ?」と。そこでエリクセンは「いや、あれほどやっかいなものはない」と答える。こうして私は元気を回復して、問題と取り組むようになる。

・私の経験上、好き好んで人生の底を体験しなくても、こうした体験をした人の話を心にしみこませるようにすると、「目の前の問題はささいなことに見えてくる」ようになります。

MS231c アウグスティヌスの回心

・この記事は、シリーズMS「奇跡物語」の記事です。

【アウグスティヌスの回心】

・前回は、「アウグスティヌスは肉欲と霊性を求める理性の間で苦悩をしていた」というお話をしました。
・今回は、回心をしてその苦悩から脱する時ののお話です。

・「告白」では、回心の場面が次のように描かれています。
・まず、(回心の)決心を仕掛けては、決心できない様子が描かれています。

わたしは心のなかで、「いまこそいまこそ」とひとりごとをいっていた。そういいながらももう決心しかけていた。わたしはもう決心しかけていたが、しかしじつは決心しなかったのである。・・・そしてもう少しでとどくところであったが、なおすこしたりなかった。・・・わたしが別人になろうとする瞬間は近づけば近づくほどますます大きな恐怖をわたしの胸に打ち込んだ。

・こうした苦悩のなかで、貞潔の声はだんだん大きくなり、誘惑の声はだんだん微弱になっていきました。
・そして、アウグスティヌスは悔恨の涙を流します。

深い考察によってわたしの悲惨のすべてが心の奥底から引き出して、「わたしの心の前に』積み上げたとき、激しい嵐がおこって、激しい涙のにわか雨をもたらした。わたしは声をあげて涙を流しつくそうと立ち上がって、アビリウスから離れた。

・この後に「取って読め、取って読め」という神の声を聞くのです。

わたしの心はひどく苦しい悔恨のうちに泣いていた。するとどうであろう、隣の家から、男の子か女の子かは知らないが、子供の声が聞こえた。そして歌うように「取って読め、取って読め」と何度も繰り返していた。・・・それでわたしはあふれ出る涙を抑えて立ち上がり、わたしが聖書を開いて最初に目にとまった章を読めという神の命令に他ならないと解釈した。

・聖書には次のような言葉が出ていました。

最初に目に触れた章をだまって読んだ。「宴楽と泥酔、好色と淫乱、争いと妬みを捨てても、主イエス・キリストを着るがよい。肉の欲望を充たすことに心を向けてはならない」。・・・この節を読み終わると、たちまち平安の光というべきものが私の心の中に満ち溢れて、疑惑の闇はすっかり消え失せたからである。

・アウグスティヌスは悔恨の涙を流すことで、心の曇りがとれ、神の言葉(光)を心の中に満たすことができました。

MS231b 肉欲と霊性の間で揺れる苦悩

・この記事は、シリーズMS「奇跡物語」の記事です。

【肉欲と霊性の間で揺れる苦悩】

・今回は、古代キリスト教系の大思想家アウグスティヌスが目覚める前の苦悩についてのお話です。

・「戦争と平和」の主人公のピエールは、ぜいたくな暮らしをしていたときは心が満たされずに、フリーメ―ソンと出会って精神性に目覚めました。
・そのあと、フリーメーソンの教えにしたがって慈善活動をするものの、現実の社会を変えることができずに現実と理想のギャップで苦しんでいました。

・アウグスティヌスの場合には、自分の欲望と理性のギャップで苦しんでいました。

・若いころのアウグスティヌスは快楽に身をまかせるような自堕落な生活を送っていました。

・そんななかで、アウグスティヌスは、キケロの「ホルテンシウス」に出会います。
・「ホルテンシウス」を読んで感動をしたアウグスティヌスは、いったんは知恵の探究に身を捧げようとします。
・しかし、すぐに断念します。
・なぜなら、貞潔と節制の生き方をすることにより肉体の快楽から遠ざかることのがまんができなかったのです。
(この辺は、すべての人間の参考になるところだと思います。)

・このようにしてアウグスティヌスは長い間、魂の欲する知恵の生活肉体の欲する欲望の生活の中で揺れ動いて苦悩し続けます。

MS231a 古代のキリスト教系の大思想家アウグスティヌス

3 苦しみの底をぶち抜いて幸福になった人々

・前節では、ピエールの悟りの過程(絶対幸福への道筋)を紹介しました。

・本節では、絶対幸福に到る道を深く考えるために、苦しみの底をぶち抜いて絶対幸福の境地に近づいた人々の話を紹介します。

① アウグスティヌスの回心

【古代のキリスト教系の大思想家アウグスティヌス】

・はじめに紹介したいのはアウグスティヌスです。

・アウグスティヌスは、古代ローマ末期のキリスト教系の大思想家です。

・トルストイは自らの悟りを「戦争と平和」やそのほかの小説で人々に知らしめましたが、アウグスティヌスは自らの悟りを「告白」という体験談で人々に知らしめました。

・アウグスティヌスはトルストイと同じように、天上界から地上に送り込まれたキリスト教系の天使だと考えられます。
(その影響力から明らかだと思います。)

・したがって、アウグスティヌスの生き方そのものが私たちの手本となると考えられます。
・ですから、アウグスティヌスの「告白」は。人類の歴史のなかでも最上級の体験談であると考えられます。
(要するに、人々のために、愛のために書かれた体験です。)

・「告白」は、アウグスティヌスがキリスト教に目覚めるまでの前半部分と、キリスト教に目覚めて真理の探究をする姿を描いている後半部分からなります。

・「告白」の前半部分では宗教に救いを求めたいと思いながらも欲望にほんろうされるアウグスティヌスの苦悩の姿が描かれています。

MSC23 奇跡物語・目次 第2章・第3節

第2章 絶対幸福への道

1 心の法則と絶対幸福への道

2 トルストイの描いた絶対幸福への道

3 苦しみの底をぶち抜いた人々

① アウグスティヌスの回心
【古代キリスト教系の大思想家アウグスティヌス】
【肉欲と霊性の間で揺れる苦悩】
【アウグスティヌスの回心】

② デールカーネーギーが描いた人々

③ 「戦争と平和」の登場人物たち