・この記事は、シリーズSF「絶対信仰への道」の記事です。
・今回は、絶対信仰を目指すための真理の学び方についてのお話をします。
・「絶対信仰」を目指すための要諦は、自分中心ではなく、真理中心の生き方をすることです。
・そのためには、真理をしっかりと学ばなくてはいけません。
🙂 主のお言葉
・真理の学び方に関して、「多次元宇宙の秘密」のなかで次のように説かれています。
小さな例からあげるならば、みなさん方は真理の書籍を読まれているでしょうが、その読む姿勢そのものでも違いがあります。
何とか学ばねばならない、勉強せねばならないと思い、この「ねばならない」に基づいて学んでいる方。神理を知るということがいかによろこびをもたらすものかを知って学んでおられる方。学びは即行為につながると思って読んでおられる方。書籍のなかには、自分がなさねばならないことが買いてあると思い、それを吸収し、実践することが魂のよろこびであるとして読んでいる方。
・このお言葉の意味は、おそらく、「次の三つの段階に分けることができる」ということだと思います。
① 「ねばならない」で学んでいる
・苦しみが入っている感じです。
・苦しみの原因は偽我です。
② よろこびで学んでいる
・喜びはあるが、与える愛にはいっていません。
③ 学び即行為になっている
・「愛と知の両立ができている」ということだと思います。
・「真理を実践する自分」が、自分そのものであるような学び方が、理想の学び方です。
🙂 具体的な方法
・実践に結びつけるための私の学び方を紹介します。
① 文章の語尾を大切にする
・まず、主の一つ一つのお言葉を大切にします。
・実践に結びつけるためには、文章の最後のお言葉を大切にします。
・たとえば、「大切です。」というお言葉には、ほとんど線を引きます。
(自分が「大切」と思うものではなく、主が「大切」と思うものを「大切にしよう」と思います。)
・そして、「それが、なぜ大切なのか」、「それを実践するにはどうするのか」を考えます。
・あるいは、公案でも、最後のお言葉の通りに考えます。
・「知ること」と言われれば、「知っておこう」とします。
・「じっくり考えよ」と言われれば、じっくり考えます。
・「瞑想せよ」と言われれば、瞑想します。
・とにかく、主のお言葉に忠実に考えようとします。
⓶ 「わからないこと」「できていないこと」を考える
・第二に、主のお言葉のなかで、「わからないこと」「できていないこと」はチェックします。
(ただし、初めて読むときは知識を得るために読むので、こういう読み方はしません。)
・おそらく、この「わからないこと」「できていないこと」をチェックするという読み方は、真理を学ぶ秘訣だと思います。
・私が見るところ、勉強が進まない方というのは、自分がわかることを中心に人の話を聞きます。
・自分ができていることを中心に話を聞きます。
(そして、人のできていないこと、知らないことを心にとめておきます。)
(これは、あまり進歩のない勉強のしかたです。)
(ふつうの勉強でも、できる子は、テストの間違ったところに注目します。できない子は、テストのできたところを見たがります。)
・一般ページの「頭がよくするために知っておいた方がよいこと」という記事で紹介をしたことがありますが、進歩する人間は、基本的に「知らないこと」「できないこと」に注目するのです。
・あるいは、「天才はチャレンジすることが好きである」という話も紹介しました。
(ですから頭のよしあしの差は、地頭の問題ではなく、精神性の問題だと思います。)
具体例
・具体例を紹介します。
・私は、先日『青銅の法』の「自己犠牲の精神」を読みました。
・冒頭に、「最近の若い方々を見ていると、『どうも自己犠牲の精神のようなものが分からないのではないか』と思うことがよくあります。」という文章が出ていました。
・私は、さっそく、この言葉にひっかかりました。
「自己犠牲の精神」とは、どのようなものか。
「自己犠牲の精神がわからない」とはどのようなことか。
「なぜ、若者が」わからないのか。
・すると(長くなるので途中経過は省きますが)、「人間の自己防衛の心理」、「現在の風潮とその原因」、「自己犠牲の精神のある人の奥深い心』などが見えるようになってきました。
・これだけ考えるには、基礎的な学力(真理知識)、体験、思索経験などが必要だとは思いますが、こうした読み方をすると、一行の真理から多くの真理を見出すことができるようになります。
(そのあとの主のお言葉も深く心に刻むことができるようになります。)
🙂 結論
・今日の話の結論を一言で言いますと、「真理を学ぶときは、一つひとつのお言葉をおろそかにしない」ということです。
・そのためには、基礎的な力をつける必要もあります。