【幸福になれないソーニャの自己犠牲的な生き方】
・前回は、自由奔放に生きるナターシャと自己犠牲に生きるマリヤの愛のお話をしました。
・マリヤはキリスト教的な精神を発揮した自己犠牲的な生き方をしましたが、最後はそれなりの幸福を手にしています。
・「戦争と平和」では、同じ自己犠牲的な生き方をしても不幸になる人が描かれています。
・それはソーニャです。
・ソーニャはナターシャのいとこで、ロストフ家(ナターシャの家)に引き取られた財産のない娘です。
・ソーニャはロストフ家のために尽くすのですが、だれにも感謝されずに、幸福になれません。
・ソーニャに関して、ナターシャとマリヤの次のような会話があります。
ナターシャ:「あなたはよく聖書をんでらっしゃるでしょう。あのなかにまるでソーニャのことを言ったようなところがありますわ。」
マリヤ:「どんなとこ」
ナターシャ:「もてるものには与えられ、もたざるものはそのもてるものをも奪わるべし。っていうのよ。覚えてて?あの人はもたざるものなのよ。・・・あの人はあだ花よ。」
・「なぜ、ソーニャの自己犠牲的な精神があだ花になるのか?」ートルストイは詳しくは語ってはいませんが、おそらく、「弱者に対する自己犠牲的な精神は意味があるが、強者に対する自己犠牲はあだ花になる」ということを言っているのではないかと思います。
・