SEB06 『永遠の仏陀』第2章③ この世的価値基準を捨てる 

 🙂 第2章の深読のチャレンジの続き

・この記事は、シリーズSEB「『永遠の仏陀』講座」の記事です。

・シリーズSEBでは、『永遠の仏陀』の深読にチャレンジします。
・前々回から、第2章「真実の人となれ」について学んでいます。

・今回は、そのうちの一つのポイントである「この世的価値基準を捨てる」の箇所の深読にチャレンジします。

今回の要点と結論

① 執着を捨てる
・「この世的価値基準を捨てる」とは、「私たちの苦しみの原因である執着を捨てる」ということです。

② 平静心の幸福を考える
・この世的なできごとにほんろうされなくなると平静心の幸福を得ることができるようになります。

③ 使命実現の幸福を考える
・人生には、命よりも大切なものがあります。
・この世的な価値基準を捨てて、本来価値あるものを発見したときに、ほんとうの幸福を手にいれることができます。

 🙂 執着を捨てる

・私たちの苦しみの原因は執着です。
・「この世的な価値基準を捨てる」ということは、「執着を捨てる」ということです。

『永遠の仏陀』では、次のように説かれています。

偽りの人生を生きている人には、
明らかに共通する特徴がある。
彼らは、すべて、この世的なる物差しを基準としている。
地位や、名誉や、金銭の多寡、
そのようなものを、この上なく愛し、
己の心の価値というものを認めていない。(p60)

・私たちは、長い年月の間、この世的なる物差しを基準として生きてきました。
その生き方はしみついています。

・良心としては、「他の生き方がある」ということはわかっていても、この世的なる基準を100%捨てることはできません。

・心に沁みついた「この世的なる基準」を、「霊的な基準」「仏中心の考え方」に変えるのが「仏道修行」です。

 🙂 平静心の幸福

・この世的な基準を捨てる一つの方法は、「心の幸福」を知ることです。
・「心の幸福」の一つが、平静心の幸福です。

『人生の王道を語る』では、次のように説かれています。

お金がなくとも、肩書がなくとも、世の人びとの評判がなくとも、根本的なところで幸福を感じるときがあるのです。
そのときの心の状態を説明するとすれば、まず言えることは、ひじょうに静かな状態があったということではないかと思います。
それは、この世ならざる聖なるものを感じることがあるからだと思うのです。

「心を平らかにする」という、この一点を心に刻んでおいてください
私が言っていることの意味が、あるいは百数十冊以上の書物で言いつづけていることの意味が、必ずやこの一点のなかに集約されて見いだされるでしょう。

・平静心の幸福はほんとうの幸福です。
・この世的な幸福は偽りの幸福です。

・この違いが分かった人間だけが、真実の人生を歩むことができます。

 🙂 使命実現の幸福

・「平静心の幸福」よりは、さらに一段レベルが高い幸福が「使命実現の幸福」です。

・人生には、命よりも大切なものがあります。
ほんとうに価値あるものに命を捧げるのが真実の人生であり、ほんとうの幸福です。

『永遠の仏陀』では、次のように説かれています。

過去の求道者は、すべて、己の生命をかけて精進してきたのだ。
精進とは、そのようなものなのだ。
生命をかけて行うものだ。
生命をかけるとは、いかなることか。
それは、
自分の求めているものの値打ちを
知るということなのだ。
その真なる値打ちを
知るということなのだ。
これが、人生最大の悦びとなる。

・私たちは、なかなか、生命をかけて精進することができません。
・その理由は、「自分の求めているものの真なる値打ちを知らない」ということなのです。

・そこで、私は、「徹底的に法の価値を追究していきたい」と考えています。

今回の結論

徹底的に法の価値を追究する。

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