SEB18 『永遠の仏陀』第5章⑤ 栄光の瞬間

🙂 仏言ー栄光の瞬間

・この記事は、シリーズSEB「『永遠の仏陀』講座」の記事です。

・シリーズSEBでは、『永遠の仏陀』の深読にチャレンジします。
・10月に入ってから、第5章「永遠の仏陀」を学んでいます。

・本講座の目的は、『永遠の仏陀』のまえがきの「本書を読み、味わい、理解し、勝つ実践して、人生に敗れることはありえない」というお言葉を手がかりにして、人生に勝利するために、『永遠の仏陀』を深読することにあります。

・しかし、『永遠の仏陀』の第5章には、実践することが難しい仏言が続々とでてきます。
・この仏言を探求していきたいと考えています。

今回は、「栄光の瞬間」の節のなかのお言葉です。

仏言

小さな小さな心を捨て去り、
大きな大きな心と一つになることだ。
おまえたちが人間として生まれ、育ち、生きてきて、
規定しているところの、
人間という名の、思いの枠を取り払い、
宇宙を創りたる仏の心と一つになれ。
心の縛りを取り除き、
肉体の殻を脱ぎ去り、
仏の心と一つとなれ。
さすれば、おまえたちの心のなかにも
栄光の瞬間がよみがえってくることだろう。
おまえたちにも、
この太陽系を創った時の悦びが、
この地球を創った時の悦びが、
伝わってゆくに違いない。(p232)

 🙂 仏の心と一つとなる

・常識的には、私たちに、「太陽系を創った時の悦び」を感じることや、「地球を創った時の悦び」を感じることは、難しいと思います。

・しかし、仏が、わざわざ、この教えを説かれたということは、深い意味があるはずです。

・したがって、私たちは、「自分の小さな小さな心を捨て去り、仏と一つとなる」チャレンジをすべきだと思います。

すべてのことはささいなことである

・小さな心を捨て去る方法として、私が実践しているのは、「すべてはささいなことである」と意識することです。

・本サイトでも、かつて、「苦しみから脱する方法」として、「すべてはささいなことである」という記事を紹介したことがあります。
・その一部を再掲します。

この世は仮の宿りである

・仏教の教えでは、「この世は仮の宿りである」と説かれています。
・この世のできごとは、すべて、あの世の真実の世界で生きている霊から見れば夢幻のようなものです。

・幸福の科学の教えには次のような教えがあります。(言葉は正確ではありません。)
・あなたがたが、取り返しのつかない大失敗をしたと思っていても、あの世の霊から見れば、小学生が学芸会の練習で、セリフを間違えたようなものです。

・なんと、(私たちにとって)「取り返しのつかない大失敗」が、(仏の目から見たら)「学芸会の演技で間違えた程度」ではなく、「学芸会の練習で間違えた程度」なのです。
(つまり、「取り返しのつかない大失敗と見えるのは邪見」、「ささいなことと見るのが正見」ということです。)

・私は、自分が失敗したと思ったときは、いつも、このお言葉を思い出します。
(「真理を実践する」「反省をする」というのはこういうことです。)

無限の時間の長さ、空間の大きさを感じる

・前の記事で「一千億年の孤独」のお話や、「多次元宇宙」のお話をしました。
・パラレルワールドのお話もしました。

こうした広大無辺の宇宙や、悠久の時間のことを考えると、自分の生きている世界のちっぽけさが見えてきます。
・一千憶年の宇宙の歴史までいかなくても、ここ千年の人類の歴史だけを考えても、自分の現状よりも苦しんでいる人は数限りなくいるのは容易に想像できます。

すべては幻である

・最近、私が実践している瞑想法を紹介します。
(実際は、ちゃんと瞑想をするのではなく、目が覚めたときにボーっとしながら考えることが多いです。)

① 「すべては幻である」と感じる
・まず、「すべては幻である」「この世には何も存在しない」と感じます。
(参考 『慈悲の時代』)

② 無になる
・そこで、「無の世界」あるいは、「光一元」の世界を感じます。
(寝起きとの時は、霊的になっているので、光の世界を感じやすいです。)

③ 無限の世界が広がる
・そうすると、目の前に「無限の世界」、「永遠の世界」を少し感じることができます。

・これを推し進めることにより、仏と一体となる感じ、栄光の瞬間を感じることにチャレンジしようと思っています。

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