SD006 絶対信仰を目指すための『正心法語』の読み方⑥ 正しさの基準

・この記事は、シリーズSD「絶対信仰を目指すための『正心法語』の読み方」の記事です。

 🙂 仏中心の考え方

・『仏説・正心法語』の五つめの経文は、「仏説・八正道」です。

・「八正道」とは、「仏の御心を御心として生きるための『正しさ』の基準」です。
・ここでは、「絶対信仰」に至るための「正しさの基準」について考えます。

① 信仰は幸福の手段ではなく、目的である
・方便としては、「幸福になるために信仰する」という考え方もありますが、ほんとうは「信仰心を強くする」ことが地上人生の目的です。

② すべてのものに意味がある
・そもそも地上人生は方便の世界です。
・すべてのできごとには、隠された意味があります。

③ 心の中に宇宙(時空間)がある
・ほんとうの世界は「心の世界」です。
・すべては、心のなかにあります。
(「心が霊界につながっている」といういい方もできます。)

 🙂 信仰は、幸福の手段ではなく、目的である

・一つ目は、「信仰は、幸福のための手段ではなく、目的である」ということです。

・「方便の教え」としては、「『貧』『病』『争』などの『苦しみ』から脱出するために、教えを実践しましょう」といういい方をします。
・しかし、真実を述べれば、そうした「貧」「病」「争」の「苦しみ」は、心を向上するための問題集として仏から与えられたものです。

・「貧」「病」「争」がほんとうの問題なのではなく、「心の向上」の方が中心のテーマです。

・さらに、言えば、「心の向上」とは、「信仰心を深める」ことに他なりません。

・つまり、私たちは、「信仰心を深める」ためにこの地上に生まれてきているのであり、信仰の方が目的なのです。

 🙂 すべてのものに意味がある

・上に述べたように、私たちは魂修行のためにこの地上に生まれてきています。

・「仏の心を心として生きる」とは、「この世が修行のための仮の世である」と知って生きることです。(参考『太陽の法』)

・魂修行の観点から見ると、この地上の経験に無駄なものはありません。

成功も失敗も、魂を向上させてくれます。
・すべての人は、「愛を与える」対象になります。
・すべてのできごとは、学びの材料になります。
・すべての体験は、反省の材料になります。
・私たちは、すべてのものごとを通して発展することができます。

・そう考えたときに、人生に失敗はなくなります。

・そう思えないのは、私たちのものの見方に誤りがあるからです。

・私たちは、生きやすい生き方を求めます。
・私たちは、人の称賛を求めます。
・私たちは、楽な生き方を求めます。
・私たちは、マイナスのない生き方を求めます。

この人生観を正すところから反省は始まります。

 🙂 心の中に宇宙(時空間)がある

・三つ目は、「心の中に宇宙がある」ということです。

・私たちの、通常の感覚では、私たちは時空間のなかを生きています。
・こうした感覚は、自分を中心にしたものの見方を生みやすくなります。

・話が難しくなるので、結論だけを言います。
・「自分が時間のなかを生きている」と思うと、そこに焦りがでてきたり、過去の失敗体験をひきずったりします。

・そうではなくて、「自分の進歩のために時間がある」と考えると、未来に向けた積極的な考えができるようになります。

・同様に、「多くの人のなかで生きている」と思うと、人の否定的な想念を受けやすくなります。

・そうではなくて、「自分が愛を与えるために多くの人がいる」と考えると、「愛の人生」が開けます。

・「心の中に宇宙がある」と知るためには、禅定修行が必要です。

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