🙂 近代の思想の問題点
・この記事は、シリーズSES「天才教育『黄金の法』講座」の記事です。
・前回、「『黄金の法』の第2章をよくよく読むと、しっかりと説かれているのは、① ギリシャ哲学、② 古代ローマ帝国、③ 近代の思想の三点だけです。」というお話をしました。
・今回は、「近代思想」のお話をします。
・結論的な話を先にすると、現代社会の最大の問題点は、唯物思想が社会の中心にきたことです。
・その原因は、近代思想にあります。
・唯物思想をもたらした近代思想には、次の二つの種類があります。
① 唯物的な思想
・一つは、マルクスやダーウィンのような、神の存在を否定する唯物的思想です。
・マルクスやダーウィンは、死後、地獄界の深いところに堕ちています。
② 啓蒙思想
・もう一つは、啓蒙思想です。
(代表的なのはルソーです。)
・啓蒙思想を遺した人間は(神様の存在は信じているので)、死後、天上界(菩薩界や如来界)に還っています。
・しかし、主からは、厳しい評価をされている部分もあります。
(「マイナスの影響も大きい」ということです。)」
🙂 ヘーゲルとカントの違い
・唯物思想がいけないことはわかりますが、神を信じる啓蒙思想家たちが、なぜ、主より厳しい評価をうけることになっているのでしょうか。
(これは、私たち弟子にとっても非常に参考になる論点です。)
・それを、ヘーゲルとカントの違いで説明したいと思います。
・大学シリーズの『法哲学入門』で、主は、次のように説かれています。
(ヘーゲルは)神の世界の掟、すなわち、「宗教の実定法」と言うべきものを、哲学として表そうとした方なのではないかと思われます。要するに、「神のお考えを言葉にしたらどうなるか」ということを試みる一生を送ったかたなのではないでしょうか。
そういう意味で、この人は、宗教的に「智天使」とも言われる分類に入る方であり、「神の衣の裾はかっちりと握っていた」と思われるようなところがあります。
このヘーゲルに先立つ哲学者としてはもちろん、カントという人もいます。
結局、「カントは、『神学』のところを、全部「哲学」に置き換えてしまい、『神』にあたるものを、『理性』に置き換えようとした」と考えてもよいのではないかと思います。・・・これは、要するに、「理性が神の代わりになる」という考え方でしょう。
・つまり、ヘーゲルは「神様中心の考え方」をしましたが、カントは「神様ではなく自分中心の考え方」をしたということです。
(平たく言えば、「神様から与えられた言葉よりも、自分の考えの方が正しいと思った」ということです。)
真理の自分勝手な解釈
・このヘーゲルとカント考え方の違いは実に大きいと思います。
・そして、カントと同じような間違えは、信仰をしている仏弟子である私たちでも犯す可能性があることを知らなければいけません。
・それは、「真理の自分勝手な解釈」ということです。
・「真理を自分勝手に解釈して、それを、あたかも真理のようにして人に伝えれば、世の人を惑わすことになります。
・「真理の自分勝手な解釈をすれば、すぐに地獄に堕ちる」ということではありませんが、世の中を混乱させる危険性があることは間違いありません。
今回の結論
・私たちは、常に、「真理に忠実にあらんとする」ということを忘れてはいけないと思います。