SD009 「絶対信仰を目指すための『正心法語』の読み方⑨ 僧帰依について」

・この記事は、シリーズSD「絶対信仰を目指すための『正心法語』の読み方」の記事です。

 🙂 私たちの課題 - 僧帰依について

・今回は、『仏説・正心法語』の「菩提心の言葉・修行の誓い」の補足説明です。

・仏弟子にとって、仏への帰依と法帰依に関しては素直に従えるのですが、サンガの幹部から出る方針に対しては素直に従えないことがあります。
(私も、上から出る方針にはしょっちゅう疑問を持っています。)

・そこで、僧帰依のあるべき姿について考えてみたいと思います。

今回の要点

・要点は、次の三つです。

① 三宝帰依は一つのものである
・仏への帰依、法帰依、サンガへの帰依は、ほんらいはひとつのものです。

② 世の中のことは理不尽に見える
・サンガの方針にも理不尽に見えるものはたくさんあります。

③ 不合理なれど我信ず
・理不尽に見えても、「そこには一段上の意味がある」ということです。
(「幸福の科学の幹部が間違った方針を出しても、主がそれをお許しになっているのには深い意味がある」ということです。)

 😐 三宝帰依は一つのものである

・幸福の科学で、よく耳にする声は、「私は、仏への帰依、法帰依はできますけれど、僧帰依はできません」という声です。

・しかし、この言葉は矛盾しています。

・「ほんらい三宝帰依というのは、一つのもの」なのです。
(法帰依をするならば、仏=僧団であり、法帰依=仏への帰依=僧帰依なのです。)
(実際に、「僧団に帰依できない」と言っている人が、毎日『正心法語』を読誦したり、反省をしたりしているかどうかは怪しい感じがします。)

・したがって、仏や教えに帰依するかぎりは、サンガに帰依すべきです。

・このときに考え方として、二つのことが言えると思います。

一つは、「幸福の科学の三宝帰依は、非常にゆるやかなものである」ということです。

・幸福の科学の方針は「正しき心の探究」です。
・一番ゆるやかな考えでは、仏帰依も、法帰依も、僧帰依も、「そちらに向かう努力をすればよい」ということになると思います。

 😐 理不尽と見えし方針にも意味がある

・幸福の科学の活動において、現実には、上から理不尽に見える活動方針がでてくることはしばしばあります。

・しかし、世の中には、偶然はありません。
・ただ単に、その方針を批判しても魂修行の役には立ちませんが、その意味を見抜いて、しっかりとした対処をすれば、魂を向上させることができます。

・今回は、その要点をお話しします。

方針が理不尽に見える理由

・まず、「方針が理不尽に見える理由」として次のようなことが考えられます。

① お互いの考え方の違い
・人間には、いろいろな考え方や価値観があります。
・考え方や、価値観が違えば、向いている方向は変わってきます。

② 認識力のレベルの違い
・認識力が違えば、見えているものが違うので、方針は違ってきます。

③ 主のお言葉の解釈の違い
・私が、よく体験するのが、主のお言葉の解釈の違いから方針が違って見えることです。

対処の方法

・理不尽に見える方針がでたときに、まず、考えるべきは、「いずれにせよ、自分の考え方も主の御心と完全に一致しているわけではない」ということです。

・したがって、まずは、「主の御心(正しき心)を探求してみる」ことです。
(上司やみんなと話し合いができれば、もっとよいでしょう。)

・それで、主の御心がわからなければ、上の方針にしたがうことです。
・そのなかで、最善を尽くしていれば、正しい答えは見えてくるはずです。

(たとえ、上司の方針があまりよろしくないものであったとしても、主は必ず見て下さっています。)

・人間は、順境にあるときよりも、逆境にあるときのほうが、魂が成長する感じがします。
不合理に見える世の中で、たんたんと努力をしていると、思わぬ成果が得られるものです。

結論

理不尽に見える世の中で、努力をしているときこそ魂は成長する。
(幸福の科学は、いろいろな霊系団の魂が集まって切磋琢磨している場所なので、意外に厳しい魂修行の場になっています。)

 

 

 

 

 

 

・帰依というのは、ほんらいは、「身も心も捧げる」という意味ですが、幸福の科学の三宝帰依の考え方は非常にゆるやかです。

・「正しき心の探究」が僧団の方針です。

・しかし、現実には、身も心も捧げている信者さんはそう多くはないと思います。

 

SD008 絶対信仰を目指すための『正心法語』の読み方⑧ - 降魔の方法

・この記事は、シリーズSD「絶対信仰を目指すための『正心法語』の読み方」の記事です。

 🙂 私の降魔の祈り

・『仏説・正心法語』の七つめの経文は、「仏説・降魔経」です。

・ここでは、「悪霊撃退祈願」と合わせて、降魔のための祈り方を紹介します。

・私の降魔のための祈り方の方法はシンプルです。
・主(あるいは光)のイメージと、悪霊がそれを怖がっているイメージ、あるいは、悪霊が飛んでいくイメージを持つことです。

・私が、心がけているイメージは、以下の三点です。

① 主のイメージを強く持つ
・一つ目は、「主のことを強くイメージする」ということです。

・私の場合、主のイメージは、光の塊に近い感じです。
(『正心法語』のお祈りの時点で、「大宇宙の存在そのものが主であり、光である」というイメージを持っています。)

・「病気平癒祈願」のときには、実際に、主の魂の御兄弟がそこにいて下さるイメージを持ちます。
・この場合も、イメージするのは、(アニメにでてくるような)人間的なお姿というよりは、どちらかというと、概念(=光)としてのご存在をイメージしています。
・「悪霊撃退の祈り」のときには、本気で、「主に力を貸していただこう」と思います。
(「主に力を貸していただこう」とする限りは、こちらも生半可な気持ちで生きられないので、気がひきしまります。

② 大量の光が流れているイメージを持つ
・二つ目は、大量の光が流れこんくるイメージを持ちます。

・「病気平癒祈願」のときなどは、体中に光が流れ込んでくると同時に、痛みがひいていくような経験をしています。
(「病気平癒祈願」においては、一回目のエル・カンターレ・ヒーリングの時には、体の各部署に光が入って、細胞が元気になるイメージを持ちます。二回目には、「光の珠となる」イメージをもちます。

③ 悪霊が光によってとばされるイメージを持つ
・「仏説・降魔経」のときは、光によって悪霊が押しつぶされている感じになりますし、「悪霊撃退の祈り」のときは、エル・カンターレ・ファイトの光の十字・五芒星が悪霊に飛んでいくイメージを持ちます。

 

SD007 絶対信仰を目指すための『正心法語』の読み方⑦ - 光の集中と発散

・この記事は、シリーズSD「絶対信仰を目指すための『正心法語』の読み方」の記事です。

 🙂 五つの徳目

・『仏説・正心法語』の六つめの経文は、「仏説・伝道経」です。

・主から見ると、「伝道とは、人間がこの世に生を受けてやるべきこと」であります。
(私たちには、伝道は特別なことのように見えますが、主から見ればこれが人生の中心です。参考 『信仰論』)

・したがって、「仏説・伝道経」にも、人生の指針となる内容が説かれています。

・「仏説・伝道経」には「忍耐」「勇気」「叡智」「慈悲」「希望」の五つの徳目が説かれています。

この五つの徳目は、人生の中心にくるべき徳目です。

・この五つの徳目を自分のものとすることができれば、人格は向上し、人生も大いに発展すると思います。

結論

・結論を先に言うと、毎日「仏説・伝道経」を読みながら、この五つの徳目を心に刻み、この五つの光を発信することが、人間にとって最高の生き方です。

 🙂 光の吸収・発散ということ

「光の珠となるプログラム」「『太陽の法』講座」で紹介してますように、人間の魂というのは、光の集中・発散の機能を持っています。

・宗教家(あるいは光の菩薩)とは、光を他の人に供給できる魂です。(参考 『太陽の法』第2章)

・私たちは、「仏説・伝道経」を読むことにより、「忍耐」「勇気」「慈悲」「叡智」「希望」の光の供給をすることができるようになり、光を発散するイメージを持つことができるようになります。

光の吸収・発信のしかた

・具体的には、「忍耐」「勇気」「慈悲」の光は、念いの作用により吸収・発散できるようになると思います。

・「仏説・伝道経」を読みながら、それぞれの徳目を心に刻みつけ、また、その力がでていることをイメージすればよいと思います。

・「叡智」の光を吸収するには、学習の習慣化、考える習慣化が必要だと思います。

 🙂 希望ということ

・「仏説・伝道経」では、五つ目の徳目として「希望」が説かれています。

・この「希望」というのは、人間が幸福になるために極めて大切な要素です。

・人間の幸・不幸は、現在の状態よりも未来に対する見方で変わってきます。

・まったく同じ能力をもつものが、まったく同じ環境にいても、希望があれば、その人は幸福です。
絶望していれば、その人は不幸です。

・希望のある人に、発展が訪れる可能性は極めて高いです。
・絶望している人が、そのままの状態にいる限り、未来が開ける可能性は極めて低いです。

宗教家(あるいは光の菩薩)の仕事は、苦難・困難のなかにいる人に「希望の光」を与えることです。
・そのために、「仏説・伝道経」を読誦して、自らが「希望の光」を吸収することです。

経文の読み方 - 私の場合

・私は、以前は、毎日、朝の祈りの中心は、「真理の言葉・正心法語」「菩提心の言葉・修行の誓い」「仏説・伝道経」でした。
(「伝道が仕事」という位置づけでした。)

・当サイトで「光の珠となるプログラム」の掲載を始めてからは、「主への祈り」「守護・指導霊への祈り」「病気平癒祈願」「悪霊撃退祈願」「成功のための祈り」が中心となっています。
(自分自身が「光の珠」のモデルとなることを目指しています。)

・各自、光の入りやすいお祈りの方法を見つければよいと思います。

 

 

 

SD006 絶対信仰を目指すための『正心法語』の読み方⑥ 正しさの基準

・この記事は、シリーズSD「絶対信仰を目指すための『正心法語』の読み方」の記事です。

 🙂 仏中心の考え方

・『仏説・正心法語』の五つめの経文は、「仏説・八正道」です。

・「八正道」とは、「仏の御心を御心として生きるための『正しさ』の基準」です。
・ここでは、「絶対信仰」に至るための「正しさの基準」について考えます。

① 信仰は幸福の手段ではなく、目的である
・方便としては、「幸福になるために信仰する」という考え方もありますが、ほんとうは「信仰心を強くする」ことが地上人生の目的です。

② すべてのものに意味がある
・そもそも地上人生は方便の世界です。
・すべてのできごとには、隠された意味があります。

③ 心の中に宇宙(時空間)がある
・ほんとうの世界は「心の世界」です。
・すべては、心のなかにあります。
(「心が霊界につながっている」といういい方もできます。)

 🙂 信仰は、幸福の手段ではなく、目的である

・一つ目は、「信仰は、幸福のための手段ではなく、目的である」ということです。

・「方便の教え」としては、「『貧』『病』『争』などの『苦しみ』から脱出するために、教えを実践しましょう」といういい方をします。
・しかし、真実を述べれば、そうした「貧」「病」「争」の「苦しみ」は、心を向上するための問題集として仏から与えられたものです。

・「貧」「病」「争」がほんとうの問題なのではなく、「心の向上」の方が中心のテーマです。

・さらに、言えば、「心の向上」とは、「信仰心を深める」ことに他なりません。

・つまり、私たちは、「信仰心を深める」ためにこの地上に生まれてきているのであり、信仰の方が目的なのです。

 🙂 すべてのものに意味がある

・上に述べたように、私たちは魂修行のためにこの地上に生まれてきています。

・「仏の心を心として生きる」とは、「この世が修行のための仮の世である」と知って生きることです。(参考『太陽の法』)

・魂修行の観点から見ると、この地上の経験に無駄なものはありません。

成功も失敗も、魂を向上させてくれます。
・すべての人は、「愛を与える」対象になります。
・すべてのできごとは、学びの材料になります。
・すべての体験は、反省の材料になります。
・私たちは、すべてのものごとを通して発展することができます。

・そう考えたときに、人生に失敗はなくなります。

・そう思えないのは、私たちのものの見方に誤りがあるからです。

・私たちは、生きやすい生き方を求めます。
・私たちは、人の称賛を求めます。
・私たちは、楽な生き方を求めます。
・私たちは、マイナスのない生き方を求めます。

この人生観を正すところから反省は始まります。

 🙂 心の中に宇宙(時空間)がある

・三つ目は、「心の中に宇宙がある」ということです。

・私たちの、通常の感覚では、私たちは時空間のなかを生きています。
・こうした感覚は、自分を中心にしたものの見方を生みやすくなります。

・話が難しくなるので、結論だけを言います。
・「自分が時間のなかを生きている」と思うと、そこに焦りがでてきたり、過去の失敗体験をひきずったりします。

・そうではなくて、「自分の進歩のために時間がある」と考えると、未来に向けた積極的な考えができるようになります。

・同様に、「多くの人のなかで生きている」と思うと、人の否定的な想念を受けやすくなります。

・そうではなくて、「自分が愛を与えるために多くの人がいる」と考えると、「愛の人生」が開けます。

・「心の中に宇宙がある」と知るためには、禅定修行が必要です。

SD005「絶対信仰を目指すための『正心法語』の読み方⓹ 無我の心、空の心」

・この記事は、シリーズSD「絶対信仰を目指すための『正心法語』の読み方」の記事です。

 🙂 次第説法の三つの論点

・『仏説・正心法語』の四つめの経文は、「目覚めの言葉・次第説法」です・

・ここでは、次の三つの論点について説明します。

① あの世がほんらいの世界
・次第説法は、ほんらいの世界である天国に還るための説法です。

② 邪見・我見を知る
・反省の第一の関門が「正見」です。
・その逆が、邪見、我見です。

③ 無我の心、空の心
・無我の心、空の心を持つことができれば、高級霊界に還ることができます。

 🙂 あの世がほんらいの世界

・次第説法は、「あの世の世界に目覚めよ」という目的で説かれています。

・これは、単に「あの世の世界がある」ということを知るだでではなく、「あの世の世界がほんらいの世界である」ということを知ってほしいということでもあります。

「この世の世界」と「あの世の世界」

・ここで「この世の世界」と「あの世の世界」について整理します。

① この世の世界
・肉体中心の狭い世界です。
・私たちの「苦しみ」の原因は、この世の世界にとらわれている(しばられている)ことにあります。

② あの世の世界

・あの世の世界は、心の世界です。
・心の世界は無限に広がっている世界です。

・心の世界を生きるときに、私たちは自由の幸福を手にいれることができます。

  😐 苦しみの原因は我見・邪見

・つまり、私たちが苦しんでいるのは、「この世の世界がほんとうの世界だ」という間違ったものの見方をしているからです。

・言いかえれば、唯物論が「苦しみ」の原因です。

・しかし、「邪教や我欲の強い人が社会に対して悪影響を与えている」ということは、ピンときても、「まじめな唯物論者が悪である」という考え方にはピンとこない方も数多くいると思います。

・その点を整理しておきます。

① 人間には我欲がある
・人間は弱いものです。
・すべての人間には我欲があります。

② 我欲は苦しみを生む
失敗すれば、劣等感で苦しみます。
成功すれば執着が出てきます。慢心します。
(どんな人間でも、健康でも、お金でも、人間関係でも与えらえているものは当たり前と思うようにできています。)

③ いい人、悪い人は、人・時・所によって変わってくる
・具体例としては、民主党で首相になった方を思い描くとわかりやすいと思います。
・偉くなるまえは、まじめで、勉強もできて、「いい人」だったんだと思います。
・しかし、どこかで魔が入ってきました。

④ 悪を修正するには宗教心が必要
魔の侵入を防ぐには、宗教的素養が必要なのです。

 🙂 無我の心、空の心

・魔の侵入を防ぐのが、「無我の心」「空の心」です。

・繰り返しになりますが、人間は失敗しても、成功しても、どうしてもものごとに執着するようになります。

幸福のもとが「苦しみのもと」になるのです。
・お金がなかったり、人から悪く言われれば、「苦しみ」を感じます。

・しかし、お金や人の評価を手に入れれば、それを失う不安がでてきます。
お金を失ったときの苦しみは、お金がなかったときより大きくなります。

・私は、スポーツ中継が好きで、よく見ます。
・プロ野球などを見て、いつも不思議に思うのは、「ひいきのチームに大金をつぎ込んで応援をして、負けるとやけ酒を飲んだり、翌日の仕事に差し支えるほどの気分を悪くしている人がたくさんいる」ということです。
(やけ酒を飲む人のことが不思議なのではありません。私もその気持ちはわかります。)
(そうした気持ちになる「心の不思議」のことを言っているのです。

・執着をしていれば、この世で苦しんで、あの世でも地獄に堕ちます。
よいことは何もありません。

・それがわかったら、「空の心」「無我の心」を求めて「悟りの道」に入ることです。

具体論

・「空の心」「無我の心」を手に入れる方法は、「八正道」の実践です。
「八正道は難しい」と考えている方に、実践のヒントを差し上げます。

・それは、「心の習慣化」ということです。
・私たちは、たまには、「この世は仮の世だ」と思うことはできます。
・しかし、いつしか、「この世が実在」という勘違い(邪見)におちいっています。
(「何かに執着をしている」ということです。)

・しかし、毎日毎日、曇りをとって、「この世は仮の世界」と言い聞かせていると、だんだん思えるようになってきます。

当サイトの提唱は、「真理生活の習慣化」です。

 

 

 

 

SD004 「絶対信仰を目指すための『正心法語の読み方』④ - 有限の世界から無限の世界へ

・この記事は、シリーズSD「絶対信仰を目指すための『正心法語』の読み方」の記事です。

  😐 苦しみの根本 - 肉体中心の考え方

・今日のテーマは、『仏説・正心法語』のなかの、「智慧の言葉・仏陀の悟り」です。

・「仏陀の悟り」の重要ポイントは、「苦しみの根本は肉体中心の考え方にある」ということです。

・「仏陀の悟り」では、次のようなお言葉で始まります。

この肉体は有限なり
生・老・病・死の四苦ありて
逃るることは難かりき

・肉体の生・老・病・死が苦しみのもとです。
・しかし、これはもちろん、「肉体の存在が悪い」ということを言っているのではありません。

・「肉体中心の考え方が苦しみの根本にある」ということです。
(実践的に言うと、苦しんでいるときに、「今、自分は肉体中心の考え方をしているんだ」と思うことです。)
(そこから、「霊的な考え方とはどうのようなものか」ということを考えるとよいと思います。)

 🙂 自由な世界 - 霊的な考え方

不自由な肉体の世界

・それでは、どうすれよいかというと、

無我の心を持つならば
肉体はこれ我ならず
煩悩はこれ我ならず

「肉体は本来の姿でない」と知ることです。

・プラトンは、「国家」のなかで、地上世界の人間を「光の影が映っている映画のようなものを見せられている洞窟にとらわれた囚人」にたとえています。

・主は、「ユートピアの原理」で、次のように説かれています。

みなさんの心には、よろいがあるのです。そうした思い鉄のよろいを着て、ガシャガシャと歩いているのです。それが、霊的な目で見てどれほど滑稽であるかということを知っていただきたいのです。(p53)

・肉体中心の世界とは、非常に不自由で鈍重な世界なのです。

(これを知識として理解するだけでなく、心のなかでイメージをしてみると、霊的な世界が見えるようになってくると思います。)

自由な霊的な世界

・それに対して、本来の世界は、霊の世界です。

空の心を持つならば
霊こそ全ての根源にして
この世は仮の世界なり

・霊の世界は自由で楽しい世界です。

『永遠の法』では、次のように説かれています。

肉体から霊への移行は、せみが皮を脱いで羽化登仙するようなものです。何年ものあいだ地下で眠っていたせみの幼虫が、やがて木に登って幹の途中で止まり、殻を脱いで羽をだし、大空を飛びまわるーこうしたものによく似ています。
 また、葉の上をはっていた醜い青虫が、いつのまにか蛹になり、やがて紋白蝶や揚羽蝶になるのを見ることもあります。青虫が蛹になり、やがて蝶になっていく姿は、実は、人間の転生輪廻の姿を教えんがために、仏が創ったものなのです。そのように姿を変えながら人間は進化しているのです。(p58)

・私は、たまに、霊界で飛びまわっている夢や、蝶になって飛んでいる夢をみることがあります。

・そのときの「体の軽さ」とか、「幸福感」とか、「うれしい感じ」には、たとえようもないものがあります。
・ほんとうに「そこから出たくない!」とか、「帰りたくない!」という感じです。
・地上生活に引き戻されるのは、狭い部屋に閉じ込められる感じです。
(非常に窮屈な感じです。)

・まさしく、蝶がさなぎに戻る感じだと思います。
・プラトンの言う、洞窟のなかの囚人の感じだと思います。
よろいを着て生きている感じだと思います。

 🙂 仏陀を信じる

・そんな経験をしている私でも、私でも、地上生活を続けていると、それが当たり前になり、肉体的な 自分を満足させるために、「この世的に生きやすく生きたい」と思うようになります。
エネルギーを失い、「けだるい生活が当たり前」と思うようになり、努力ができなくなります。

・ほんとうに、地上人生というのは厳しい修行だと思います。

・しかし、この厳しい環境のなかで、一念発起して、霊的な自分を追い求め続ければ、来世には、蝶のように自由にとびまわれる世界が待っています。
(一念発起とは、言葉を変えれば、「毎日毎日自家発電をする」ということです。)

・その決め手は信仰です。

・「仏陀の悟り」は次の言葉で終わっています。

仏陀(われ)を信じる心こそ
救いの道の王道なり

今回の結論

「光が入っているときの霊的な自分」と「光が入っていないときの肉体的な自分」の差を意識するようにする。
・毎日、毎日、『正心法語』を読誦して、光を入れて、自家発電の決意をする。

SD003 「絶対信仰を目指すための『正心法語』の読み方⓷ - 三宝帰依の精神」

・この記事は、シリーズSD[絶対信仰を目指すための『正心法語』の読み方」の記事です。

 🙂 神様中心の考え方

絶対信仰を目指すのに一番大切な考え方は、神様中心の考え方です。

・私たちは、ふつうは、自分中心の考え方をしています。
(非常に優秀な方は、相手中心の考え方ができるかもしれませんが、きわめてまれだと思います。)

・絶対信仰、絶対幸福への道に入るためには、この自分中心の考え方を神様中心の考え方に変える必要があります。

目的と手段を逆転させる

・自分中心の考え方を神様中心に変える実践的な方法は、人生の目的と手段を逆にすることです。

・多くの方は、幸福になるために「真理の勉強をしたり」、「信仰心を強くしたり、仕事を一生懸命したり」していると思います。
・これを逆転させるのです。

・つまり、「信仰」や、「愛の実践」、「勉強」、「反省の実践」を幸福の手段ではなく、「人生の目的」にするのです。

・こうすると二つのよいことがあります。

① 毎日が幸福
・一つは、人生の幸福に対する考え方です。
人生の幸福は、過去や未来にあるのではなく、現在ただいまにあります。

・人生とは、結果ではなくプロセスなのです。

『幸福の法』には、次のように説かれています。

人類は、「愛」と「悟り」という二つの武器を持って、この地上をユートピアにしていく必要があります。それは物質的なユートピアではありません。(p309)
私たちが求めているユートピアは、目に見える姿でのユートピアでは必ずしもありません。
人々が変化するもののなかにあって、変化しない方向性を知り、向かうべき方向を知り、その高みを知ること、そして、この地上世界を、菩薩や如来の世界、天使の世界に近づけていくことが大切なのです。(p310)

・私たちは、仏になることは永遠にできません。しかし、仏に近づいていくことは、だれでも、いつでも、どこでもできます。
毎日、毎日、仏に近づいていくことがほんとうの幸福です。

② 霊的世界への参入
・もう一つは、「霊的世界に参入する」ということです。

・この世の世界と霊的世界では、多くのものが逆転をしています。
・自分中心の考え方というのは、この世的な考え方です。
・これを逆転させると幸福になります。

・実践的に説明をします。

・今日の話の目的は、「三宝帰依の精神」の説明です。
・仏教では、三宝帰依が説かれています。

・帰依というのは、絶対の服従です。
・服従と言われると、この世的には、いちばん不自由で嫌な感じがします。

・しかし、悟った人間にとっては、三宝帰依の精神は喜びそのものになります。

三宝帰依をすると、この世的な束縛から逃れることができ、霊的には自由になります。

・たとえば、
悟っている人間には、『正心法語』を読誦することが喜びです。
(なぜなら、『正心法語』を読誦することは、「光が入ること」であり、「自分のなすべきことがわかること」であり、一切の不安がなくなることだからです。)

悟っていない人間は、義務感で「菩提心の言葉・修行の誓い」を読誦します。
(修行の手段だからです。)


SD002 絶対信仰を目指すための『真理の言葉・正心法語』の読み方② - 心の主となる

・前の記事(⇒SD001「絶対信仰を目指すための『真理の言葉・正心法語』の読み方」では、「光一元の世界と一体となる」という現実の感覚とは違った“この世離れした読み方”の紹介をしました。
(「法身という普遍の世界に自分が入っていく読み方」です。)

・今回は、現実の感覚に近い読み方を紹介します。
(「肉体的な感覚を前提にして、それを修正するための読み方」です。)

 😐 心を支配する

結論

・結論は、『大悟の法』に説かれている次のお言葉です。

心に支配されることなく、心を支配せよ。心の主とすることなく、心の主となるべし(p71)

・つまり、「欲望(肉体中心の考え方)にほんろうされるのではなく、『真理にもとづいた生きよう』と決意せよ」ということです。

方法

・具体的には、『真理の言葉・正心法語』の次のフレーズを読むときに、「心を正そう」と決意することです。

肉体は これ 霊の影
人生の 大河を 流るる 小舟なり
小舟は あくまで 小舟にして
船頭 なくば 座礁せん
船頭 即ち 心なり
心 もし 過てば
小舟は 岩に 砕かれん

・そしで、反省をし、「心の主となる」という言葉を魂に刻み込んでいくことです。
(『仏説・正心法語』の全編を読誦しながら反省に入るのがベストです。)

ポイント

私たちは、ふつうに生きていれば、肉体中心の考えで生きています。
(とにかく、自分が考えている以上に心が汚れています。)
・肉体中心の考えで生きていれば、心に塵がつもり、欲望に引っ張られるようにできています。

毎日毎日の反省で、心の塵を払っていく必要があります。
(これを強く強く意識することです。)
(そして、反省の習慣化をすることです。)

・光が入り、霊的意識が50%を超えるようになれば、絶対信仰の世界に入っていけると思います。

SD001 絶対信仰を目指すための『真理の言葉・正心法語』の読み方① - 普遍の世界を感じる

・シリーズSDは、『正心法語』一冊で、奇跡を実現することを目的としています。

・今回は、「絶対信仰を目指すための『真理の言葉・正心法語』の読み方」がテーマです。

 🙂 仏の三相

・主は、1990年の「講師等登用研修」で、「仏の三相」について説かれました。
・「仏の三相」とは、次のとおりです。

① 法身
・仏のほんとうの姿は法そのものです。
・光です。
・理念です。

『永遠の仏陀』では、次のように説かれています。

教えとは、姿を変えたる仏そのものであるということを、
おまえたちは知らなくてはならない。
仏とは、法であり、
仏とは、教えであるのだ。
わが説く、この法こそが、
わが説く、この教えこそが、
仏の実体の本質であるのだ。

⓶ 報人
・私たちが、天上界にいると想像しているところの(アニメででてくるような)仏のお姿です。
・釈迦大如来とか、ヘルメス神という名前で、霊的に姿を現してくださいます。

③ 応身
・大川隆法総裁先生として、肉体をもってお姿を現されている御存在です。

 🙂 普遍の世界をイメージする

光の武器としての『正心法語』

・「一般ページ」の記事で、「悪霊をとばしたかったら、『正心法語』を読むときに、主がそこにいらっしゃるイメージをすればよい」という話をしました。

「念いは実現する」ので、主を念えば、主はそこに来てくださいます。

・しかし、主のイメージが、応身や報人のイメージだけでは、絶対信仰の世界に入るのは難しいと思います。

普遍の世界を感じるための『真理の言葉・正心法語』

・なぜなら、「絶対信仰の世界」とは、「普遍の世界」だからです。
主があまねく存在していなくてはいけないのです。

・ですから、「絶対信仰を目指すための『真理の言葉・正心法語』」の読み方は、法身としての主をイメージする読み方です。

・言葉を変えると、自分が『正心法語』を読むのではなく、『真理の言葉・正心法語』世界に自分が入るイメージです。
(普遍の世界が主、自分の存在が従です。)
・あるいは、宇宙全体、永遠の時間を『正心法語』の世界とか、光一元の世界とか感じとりながら『正心法語』を読誦するという感じだと思います。

⇒SF001「絶対信仰への道 - 信仰心と光(=概念)」でお話をしたように、仏=光=概念=宇宙のイメージを持つことだと思います。