MS122a 神は人間の心のなかにいる

・この記事はシリーズDHS「奇跡物語」の記事です。

② 「フリーメーソンの秘法」と人間の心の秘密を知る

【神は人間の心のなかにいる】

・「ロスト・シンボル」と「戦争と平和」を読んで発見した第二の「人類の秘密」は神のご存在のしかたについての発見です。

・それは、
「神は人間の心のなかに宿る」ということです。

・「戦争と平和」では、神を信じていなかった主人公のピエールが、フリーメーソンの組合員であるバズジェーエフの言葉によって神を信じるようになった場面が次のように描かれています。

あなたは神をご存じない。それだからあなたは不幸なのです。あなたは神を知らぬと言われるが、神はここにおられる、神は私のうちにおられる、神は私の言葉のうちにおられる、神はおまえさんのうちにも、いまおまえさんの言った冒涜的な言葉のうちにおられるのだ。

・そして、このあと神様が心のなかにいる」ことが描かれていきます。

・「神様が心のなかにいる」という思想は、「万物万象のなかに仏性が存在する」という仏教の「一切衆生悉有仏性」の教えと同じことです。

・「すべてのなかに神が宿る」という汎神論の考え方は自然宗教、人格神宗教に関わらず多くの宗教で見られる考え方です。

・人類の歴史のなかで長く信じられてきた「神様の普遍の姿」と考えられます。

MS121b 「戦争と平和」が聖書であることの証明

【「『戦争と平和』が聖書である」ことの発見】

・前回は「エロヒムは人類の創造主である」というお話をしました。

・さらに、

「トルストイはエロヒムより啓示を受けた預言者であり、「戦争と平和」は聖書である」

というのが私が発見した「人類の秘密」です。

・その根拠の一部は「まえがき」でお話をしましたが、ここでは「正法」の見分け方という視点でお話をしておきます。

・宗教の教えが正しい(「正法」である)ことを証明するためには、三つの証拠が求められます。
・その三つの証拠とは「文証」「理証」「現証」です。

「戦争と平和」は、次のような「文証」「理証」「現証」で、「正法」であることを証明しています。

・文証 - 言葉に書いた教えです。
(「戦争と平和」は教えが文字としてあらわれています。)

・理証 - 科学的に因果関係を含んだ法則を説明できることです。
(トルストイはエピローグで、自分の考え方が従来の歴史学や科学的分析よりすぐれていることをロジカルに解説しています。)
(また、本論では、「戦争と平和」に書かれている悟りの内容が「仏教の教え」ヘーゲルの「精神現象学」の内容と一致していることを説明しています。)

現証 - 霊現象、奇跡を伴っているということです。
(「戦争と平和」に描かれている霊的体験は、私の霊的体験と一致していて真実のものであると断定できます。)
(トルストイが「戦争と平和」を書き始めたのは30代前半です。30代前半の人間が(神の御心について)これだけの内容を書けたこと自体も奇跡であり「正法」の証明になっていると思います。)

・つまり、「戦争と平和」で描かれているピエールの悟りの内容は、論理的にも経験からも、霊的にも正しいと確かめられるということです。

MS121a 「始源の神エロヒム」という御存在を知る

 2 大きな奇跡

① 「始源の神エロヒム」というご存在

【始源の神エロヒムというご存在を知る】

・前回は、「『ロスト・シンボル』と『戦争と平和』を読ん人類の秘密を発見した」というお話をしました。

・その一つは、「エロヒム」という始源の神のご存在です。

・エロヒムは、旧約聖書に出てくる神の名前です。
・「ロスト・シンボル」でも「戦争と平和」でも、エロヒムは根源の神として書かれています。

・「戦争と平和」では、フリーメーソンで伝えられる神様のことを次のように書いています。

アドーナイは世界を創造した人の名である。エロヒムは一切を支配する人の名である。第三の名は一切の意味を包含している名だが、口に発することができない。
フリーメーソンの神聖なる教えにおいては、すべてが唯一不可分であって、すべてが集合と生動のままで認識されるのだ。
(「戦争と平和」では、後で、主人公のピエールがこの教えを霊的体験として認識するようになります。)

・エロヒムの正体は隠されてきた部分もあるので、現代人に常識としては認知されていません。
(実際に、Yahooでエロヒムを検索すると「人間を創造した宇宙人」というような怪しげな解釈もでてきます。)

・私の見解では、ダン・ブラウンやトルストイの解釈は正しいと思います。

・つまり、「エロヒムは人類を創造された創造主である」と考えています。
(正確には、「創造主の意識体の一部の名」ということになるのかもしれません。)

MS112 次に起きた中ぐらいの奇跡

・この記事はシリーズDHS「奇跡物語」の記事です。

② 次に起きた中ぐらいの奇跡

・ということで、その日は、ダン・ブラウンの「ロスト・シンボル」と、トルストイの「戦争と平和」を買って帰りました。

・そして、この二冊を読み進めているうちに第二の奇跡に出会いました。
(私は、何冊もの本を同時に読みます。)

・その奇跡とは、ダン・ブラウンの「ロスト・シンボル」と、トルストイの「戦争と平和」という一見何も関係のない二つの本が同じテーマを扱っていたのです。

・そのテーマとは「フリーメーソン」です。

・世の中にどれだけの小説があるかわかりませんし、そのなかにフリーメーソンのことを扱った小説がどれだけあるのかも検討もつきません。
・しかし、「私が偶然に買った二点の小説*にフリーメーソンのことが出ていた」という事実はかなりの奇跡だと思います。
(*後に「戦争と平和」は小説でないことが明らかになりますが)

(ちなみに、私がYahoo検索で「フリーメーソンが書かれている小説」で検索したところ、ざっと見たところでは、「戦争と平和」と「ロスト・シンボル」以外にはもう一点ぐらいしか見当たりませんでした。)

(私が、これまで読んだ小説だけを考えても、その数は1000点は超えていると思います。そのなかで、フリーメーソンがテーマだった小説はゼロです。したがって、それだけを考えても、フリーメーソンのことを書いた小説を同時に買う確率は0.001%以下です。)
(つまり、1億円の宝くじに当たるのと同じ確率です!

・そして、さらに、さらに、「ロスト・シンボル」と「戦争と平和」に書かれているフリーメーソンの内容にはとてもとても大きな共通点があったのです。
・これが、まさに「人類の秘密」を発見する鍵となる内容です。

・その真実に関しては次回にお話をします。

MS111 はじめの小さな奇跡

・この記事はシリーズDHS「奇跡物語」の記事です。

 第1章 私の奇跡体験

① はじめの小さな奇跡

・その奇跡物語は、なにげない日常の一コマから始まりました。

・その日は2019年の10月の晴れた日でした。
・私は近くのスーパーに買い物にでかけ、帰りがけに古本を買おうと思いブックオフに立ち寄りました。
(そこは栃木県の氏家という田舎町のブックオフです。)

・私は、いつも寝る前に本を読んでいます。
・歴史物語や歴史小説とアメリカ作家のフィクションを交互に読むことが多いです。

・ブックオフの書棚をながめていると、ダン・ブラウンの「ロスト・シンボル」という本が目にとまったので買うことにしました。
(ダン・ブラウンは「ダヴィンチ・コード」で有名な聖書伝説をネタにしている小説家です。)

・さらに、ぶらぶらと歩きながら本棚をながめていると、なんと!、トルストイの「戦争と平和」の文庫版が4冊そろっておいてありました。

・私にとっては、これが、第一の奇跡です。

・私は退職をしてから40年以上前の学生時代に買った小説を読み直してしています。
・「戦争と平和」は第1巻しかなく、読み始めて面白かったら第2巻以降も買おうと思っていたのですが、たいして面白いとも思わなかったので途中で読むのをやめてしまいました。
・新刊の本を買うほどでもなかったのですが、「古本ならいいか」と思って買うことにしたのです。

・そしてのちに、その本は私にすごい衝撃を与えました。
(私はこれまで何千冊という本を読んでいますが、その衝撃度はベスト3にはいる衝撃度でした。)
(そして、その衝撃は第2巻から始まりました。)

・「戦争と平和」の第2巻を読んで、間違いなく私の人生は変わりました。
(これが偶然であれば、「もしもあの日に私がブックオフに行っていなければ私の人生は今とまったく違う人生を歩んでいた」ということになります。)

MSC11 奇跡物語 第1章・第1節、第2節 目次

第1章 私の奇跡体験とフリーメーソンの秘密

1 奇跡のはじまり

① はじめの小さな奇跡
② 次に起きた中ぐらいの奇跡

2 大きな奇跡

① エロヒムというご存在を知る
【人類を創造された「至高神エロヒム」というご存在】
【「戦争と平和」は聖書であることの発見】

② 「フリーメーソンの秘法」と「人間の心の秘密」を知る
【神は人間の心の中にいる】
【神様と仏様はほんらい一つの御存在である】
【心の中に入ってくる悪魔の存在】

③ なぜ、エロヒムの教えは隠されていたのか

3 私が体験した三つの奇跡

4 フリーメーソンの真実

MSP04c エロヒムの心の教え

【エロヒムの心の教え】

・前回お話をしたように、ヘーゲル哲学では、「人間の心は『自己意識』⇒『理性』⇒『宗教』という段階を経て、最後は『絶対精神』という神の境地にいたる」と考えられています。

・この心の発展段階は、仏教の修行の発展段階と一致しています。
・仏教では、「声聞」(教えを聞く)⇒「阿羅漢」(菩薩の一歩手前)⇒「菩薩」(霊的な目覚め)という段階を経て、最後は仏になります。

「戦争と平和」の主人公のピエールは、フリーメーソンに入って真理知識を得てから、様々な体験を通して霊的に目覚めます。

フリーメーソンでは、目覚めへの過程を「徒弟」⇒「職人」⇒「親方」⇒上位階という位階であらわしています。
・「徒弟」から「親方」まではこの世的な制度と同じもので上位になるほど知性的な認識力が高くなると考えられます。
・上位階は霊的に目覚めた人です。

・このようにトルストイの思想も、ヘーゲルも、仏教も、フリーメーソンも心の発展段階として、「感性」⇒「知性」⇒「知性」レベルの指導者⇒「悟性」⇒「最高の境地」という発展段階を考えています。

・これが心の面でのエロヒムの教えと考えられます。

MSP04b 普遍の真理と人間の自由の問題

【普遍の真理と人間の自由の問題】

・「絶対幸福の境地」とは「自由の幸福」です。

・一方、個人の自由な行動が社会の混乱をもたらすのも事実です。

・人間の自由と社会の幸福の関係がわかるとユートピアが築けます。

・もしも、普遍の真理というものがあり、その普遍の真理に人間の自由意志をしたがわせることができれば、すべての問題は解決します。

・すべての偉人、聖人の思想はこのことを説いています。

・トルストイは、「歴史は神の力と人間の自由意志の力で動いている」と考えています。

・「戦争と平和」では、次のように語られています。

多数または一個の人物の行為に関して、いかなる概念を検討してみても、部分的には人間の自由意志、部分的には必然の(神の)法則の所産とよりほかに、解釈することができない。
民族大移動、蛮族の侵入、あるいはナポレオン三世の命令、-これらの行為を支配した自由と必然の度合いが、われわれにとって明瞭に決定されているからである。

・「戦争と平和」の主人公のピエールは、執着を去って自分の自由意志を神の掟にしたがわせる悟りを手に入れました。
・これは仏教の教えそのものです

・仏教では、八正道という反省の手法で執着を去り悟りを開きます。

「普遍の真理と人間の自由意志の一致」は、ヘーゲル哲学の中心概念でもあります。
・ヘーゲルは歴史の面からも、心の面からも、普遍の真理と人間の自由意志の統合の過程を解き明かしました。

・ヘーゲルによれば、「人間の心」も「世界の歴史」も、「自己意識」⇒「理性」⇒「宗教」⇒「絶対精神」という段階で発展します。

・つまり、自我の強い自己意識が、理性、宗教、という発展段階を通って普遍の真理(=神の掟)に一致していくのです。

・次回は、これについて詳しくお話をします

MSP04a 普遍の真理であるエロヒムの教え

④ 「始源の神エロヒムの教え」とはどんな教えか

【普遍の真理であるエロヒムの教え】

・プロローグでお話をしておきたいことの四つ目は、「世界宗教や哲学のもとにあるのはフリーメーソンの神であるエロヒムの教えである」ということです。

・「戦争と平和」では、「フリーメーソンを司っている神は『始源の神エロヒム』である」とされています。

・そして、主人公のピエールは、「神の掟に人間の自由意志をしたがわせることができたら、すべての問題は解決する」と考え、そこから悟りへの旅が始まります。

・すべての問題を解決する神の掟が存在するのであれば、それは「普遍の真理」ということになります。

・そして、実際に「戦争と平和」に書かれている内容には、キリスト教的側面と仏教的側面があります。
(私は、キリスト教も、仏教も、プラトンの哲学も、孔子の儒教も「普遍の真理」を説いていると考えています。)

・トルストイ自身は敬虔なクリスチャンですので「戦争と平和」のなかで説かれている思想がキリスト教にもとづいているものであることは明らかです。
・実際に「戦争と平和」では深い愛の思想が説かれています。

・また、主人公のピエールは、お釈迦様のように執着をすてることによって悟りの境地に達しています。

・さらに、「戦争と平和」で再三再四でてくる「自由意志」の概念は、ヘーゲル哲学の中心テーマでもあります。
(この点については、次回に詳しく紹介をします。)

・したがって、「フリーメーソンで伝えられている始源の神エロヒムの教えにしたがって世界はつくられている」と考えることは、それほどこっけいなことではないと考えられます。

・本論は、この人類の秘密を追究するための論考でもあります。

MSP03 「戦争と平和」は神の言葉を預かる預言書である

③ 「戦争と平和」は神の言葉を預かる預言書である

・プロローグでお話をしておきたいことの三つ目は、「『戦争と平和』は神の言葉を預かる預言書である」ということです。

・「戦争と平和」が預言書であることはトルストイ自身の言葉からうかがい知ることができます。

・「戦争と平和」は次の言葉で終わっています。

第一の(天文学の)場合においては、空間に実在せざる不動の意識を拒否して、おのれの感知せざる運動を承認しなければならない。第二の(歴史学の)場合においては、同様に実在せざる自由を拒否して、おのれの感知せざる被支配的状態を承認しなければならないのである。

・トルストイがこの文章で言いたかったことは、「歴史は「人間の自由意志」の積み重ねでつくられていくのではなく、神様の力でつくられている」ということです。

・前半の部分は地球の自転のことを言っています。
・つまり、「『人間の自由意志の力で歴史がつくられる』と考えるのは、『地球が動いていない』と考えるのと同様に間違った感覚である」ということです。

・またトルストイは「戦争と平和」の解説で、次のように言っています。

私の希望するところはほかでもない。わたしの表現しようと思いながら、細説することを不都合と感じたような点に、読者が注意を向けるということである。

これは小説ではない。叙事詩ではなおさらない。歴史的記録ではさらさらない。

・「戦争と平和」は、みんなが考えているような小説ではないのです。

偉人英雄の行動が私の興味を感じさせるのは、歴史を支配している(とわたしは確信する)予定の法則と、もっとも非自由な行為を行っている人間が自分自身の自由を証明するためにいくたの回顧的推理を想像の中でつくり上げさせる心理的法則、この二つの法則の挿絵の意味にすぎないのである。

・この文章を意訳すると次のようになります。

私がほんとうに書きたかったのは、私が確信している歴史を支配している神が創った法則と不自由な人間の姿である。
偉人英雄の話というのは、「自分たちが自由である」と思いたがる人間が想像のなかでつくりあげた妄想にすぎないのである。

・要するに、「戦争と平和」は「神の力」について書いた預言書なのです。
(人間の自由意志のなかで、いちばん自由が少ないのが「偉人英雄だ」ということも言っています。)