SEB10 『永遠の仏陀』第3章 精進の力④〇

 

[精進の力④]

〇 心の弱さと徹底的に戦う

・「精進の力」の話の続きです。「命をかける」のが、厳しく感じられるのは、己の心の弱さのせいです。心の弱さと戦うのが、仏弟子の使命です。『永遠の仏陀』では、次のように説かれています。

おまえたちは、
相手と闘っているような気持ちでいるかもしれない。
しかし、ほんとうは、そうではない。
自分自身と闘っているのだ。
自分自身の恥ずかしさと闘っているのだ。
自分自身の羞恥心と闘っているのだ。
己の怠け心と闘っているのだ。
己の世間体と闘っているのだ。
つまらぬプライドと闘っているのだ。
このような、自分の弱さと象徴するものと、
徹底的に戦うことだ。(p136)

・人間は弱い存在です。自分に甘くできています。特に、今世は、私たちは、とてもとても恵まれた生活をしています。飢え死にするようなことはめったにありません。命がけで戦わなくても、生活していけます。特別の修行をしなくても、主の教えを聴けます。これだけ、恵まれた状況で己に厳しくすることは、逆に、非常に難しいと言えます。
・しかし、自分さえその気になればどんな修行もすることができます。「自らの運命を自分で切り開く」のか、「世の中に流されて生きる」のかを決めるのは自分自身の心一つです。

今回の結論

意志の力がすべてである。
自分の心をコントロールして、自分なりの修行をすること。

SEB09 『永遠の仏陀』第3章 精進の力③〇

🙂 精進の力をつける

・この記事は、シリーズSEB「『永遠の仏陀』講座」の記事です。

・シリーズSEBでは、『永遠の仏陀』の深読にチャレンジします。
・今回は、前回に引き続いて、第3章「不滅の力」の「精進の力」ついて学んでいます。

三つの要点

・前回、「精進の力」を身につけるための三つの要点を紹介しました。
・再掲します。

① 命をかける
・仏は、「精進は命をかけて行うもの」と説かれています。
・これを、現実の問題として考えられるかどうかがポイントです。

② 当たり前のことをやる
・「命をかける」というのは、私たちにとっては非常に厳しい教えですが、仏にとっては「当たり前のことを当たり前にする」という教えでもあります。

③ 心の弱さと徹底的に戦う
・「命をかける」のが、厳しく感じられるのは、己の心の弱さのせいです。
・心の弱さと戦うのが、仏弟子の使命です。

・今回は、二番目の「当たり前のことをやる」ということを深く考えていきたいと思います。

 🙂 当たり前のことをやる

・仏は、「『命をかける』という生き方」を説かれています。

・しかし、「命をかける」と言っても、別に「物理的な肉体の命を捨てるような生き方をしなさい」ということではありません。
・「この世的な名誉欲や財欲などの欲を捨てなさい」と言っているだけです。

・つまり、「真理の実践を優先しなさい」と言っているだけで、仏弟子にとっては「当たり前のことを当たり前にしなさい」という教えでもあります。

・しかし、この「真理の実践を優先する」ということは、現実論としてははなはだ難しい教えになります。
(「ウソをついてはいけません」とか、「人にやさしくしなさい」という教えは幼稚園の子供でも分かる教えですが、実践するのは難しいです。)

・なぜ、実践が難しいかというと、私たち人間は「弱い存在」だからです。

・心の弱さとの戦いの話は、次回にします。

当たり前の真理を実践するヒント

・今回は、「当たり前の真理を実践する」ためのヒントを三つ紹介しておきます。

① 時間の細分化

・一つは、時間の細分化です。

・どんなつらいことでも、時間が短ければがまんができます。
・人間だれしも、一日ぐらいなら「がんばろう」と思えば、がんばることができます。

・勉強でも、仕事でも、「できる人間」は、この「がんばろう」という思いを持続させることができる人間です。
この思いの差が大きな差になって現れるです。

「できる人間」 ⇒ 「今日一日がんばろう」という考え方をする
「できない人間」⇒ 「今日一日ぐらい遊んでも何とかなるだろう」という考え方をする

・まず、「思う」ことです。
・そして、それを毎日続けることです。

② 習慣化

・大変なこと、難しいことを毎日やり続けることができるようになる最良の方法は、習慣化です。
・何でも習慣化すると楽にできるようになります。

「できる人間」 ⇒ 「努力の習慣化」
「できない人間」⇒ 「怠けることの習慣化」

③ テーマの細分化

・だれでも、「いつも、真理を実践しよう」と思えば、パンクします。
・完全主義は敗北をします。
・「成功の法則」の一つは、「集中の法則」です。
・集中すれば、多くのことは成功します。

・自分でテーマを明確にして、真理の実践の意識づけをするとよいと思います。

「できる人間」 ⇒ 「集中の法則」を実践する
「できない人間」⇒ 完全主義になって、あれもこれもやろうとして、何もできない

私の実践

・現実には、私も、それほど理想的な毎日をおくっているわけではありません。
・毎日、「これでいいのだろうか」という生活の仕方しかできていません。
・「命をかける」という理想と、「体力・気力」の現実との戦いが毎日続いています。

・それに対する、今の私の考え方は、以下の通りです。

① すべては経験と考える
・理想通りいかなかった部分に関しては、「人間の弱さ」を知るモデルとして、研究材料にしています。

・そこから教訓なり、智慧が生まれれば、「無駄ではない」と考えています。

② 結果は、現実として受け入れる
縁起の理法は正確に働きます。
・現実は、自分の実力として受け入れるしかありません。
(家族の不幸も、これで、比較的冷静に受け止めています。)

③ 志と感謝の心
・理想通りにはなりませんが、「すべてをいただいていることへの感謝」と「できるだけのことはしよういう決意」の心はかかさないようにしています。

④ 最低限のことはする
・最低、祈りの時間を持つことと、この「智慧のマーケット」の記事を書くことだけはしています。

 

SEB08〇 『永遠の仏陀』第3章 精進の力②

 

[精進の力②]

第3章の要点と結論

・今回は、前回に引き続いて、「精進の力」ついて学んでいます。「精進の力」を身につけるための要点は、次の三つです。

① 命をかける
・仏は、「精進は命をかけて行うもの」と説かれています。
・これを、「現実の問題として考えられるか」どうかがポイントです。

② 当たり前のことをやる
・「命をかける」というのは、非常に厳しい教えですが、仏の見方からすると「当たり前のことを当たり前にする」という教えでもあります。

③ 心の弱さと徹底的に戦う
・「命をかける」のが、厳しく感じられるのは、己の心の弱さのせいです。
心の弱さと戦うのが、仏弟子の使命です。

 〇 生命(いのち)をかける

『永遠の仏陀』では、次のように説かれています。

過去の求道者は、すべて、
己の生命をかけて精進してきたのだ。
精進とは、そのようなものなのだ。
生命をかけて行うものだ。
生命をかけるとは、いかなることか。
それは、
自分の求めているものの値打ちを
知るといういことなのだ。
その真なる値打ちを
知るということなのだ。
これが、人生最大の悦びとなる。

真理を実践しようとすると、いつもでてくる矛盾が、「仏のお言葉は真実」だが「現実には実践するのが難しい」ということです。
・このようなときに、私が、いつも考えるのは、第2章ででてきた「自分の中道」です。簡単に言えば、自分で最善を考え、実践しようとして、反省することです。(毎日、未熟な自分を確認することになりますが、それが自分の実力と思い耐えるしかありません。)

今回の結論

・自分なりに「命をかけよう」と思う。そして、実践、反省を通して、最後は真理に戻る。

 

SEB07 『永遠の仏陀』第3章 精進の力①〇

 [精進の力]

・今回は、第3章「不滅の力」について学んでいます。

今回の要点と結論

・第3章の不滅の力で、最初に出てくる論点は、「努力精進」の話です。精進の力は、仏教の根本です。今回の要点は、次の三つです。

① 苦しいときに光を与えてくる言葉
・「人生は苦」です。
・「苦しみ」を突破するには「努力精進の力」が必要です。
・主のお言葉は、「苦しみ」のなかにあるときに、「光」を与えてくれます。

② 宇宙を貫く理法と魂の生地
・「縁起の理法」は、宇宙を貫く理法です。
魂の生地が純粋であれば、「精進の教え」に魂が反応します。

③ 努力精進のよろこび
・努力精進の心が長続きさせるためには、「努力即幸福」の境地を目指すことです。

 〇 精進の力

主の光の言葉

・苦しいときに光を与えてくれる主のお言葉を紹介します。『永遠の仏陀』では、次のように説かれています。

諸々の比丘、比丘尼たちよ
私は、あまりにも多くのことを、
おまえたちに期待しているかもしれぬ。
おまえたちは、その期待の重さに、
胸つぶれる思いがしているかもしれぬ。
また、無限の努力・精進を重ねてゆかねばならぬことに、
さて、一体、どこまでこの意志を貫くことができるかと、
いぶかっているかもしれぬ。

されど、私はおまえたちに言おう。
おまえたちの本来の力は、
かくのごとき弱いものではないということを。
おまえたちは、偉大な偉大な力をもっているのだ。(P108)

おまえたちには、不滅の力が与えられている。
その不滅の力は、
第一は、おまえたちが仏の子であるという事実に起因し、
第二は、過去幾十転生、幾百転生、幾千、幾万転生を、仏の弟子として生き、
学んできたという事実に起因するのだ。(p153)

 

[宇宙を貫く法と魂の生地]

・「縁起の理法」は、宇宙を貫く根本法則です。仏教の根本的な教えの一つです。人間は、努力をしたら努力をした分だけ幸福になれます。

・私たちは、「仏の子」ですから、私たちの魂は、この法則を知っています。私たちは「精進の教え」に対して、心の奥底で魂をふるわせる部分があります。魂の生地が純粋な人は、努力精進の教えが好きです。『凡事徹底』の教えに反応します。「真実の下に、ただひたすら歩め」という教えに、魂をふるわせます。
・「努力精進の教え」に魂をふるわせる人間は、過去世で修行をしてきた人間です。不滅の力が宿っています。この世的な価値観に流されずに、真理を学び、実践し続ければ、不滅の力が出てくるはずです。

〇 「努力精進のよろこび」を手に入れるために

・魂の生地が純粋な人は、「努力精進」を喜びと感じるようになります。逆に言えば、努力が苦痛なのは、魂が汚れているからです。したがって、怠け心がある人は反省が必要です。しかし、怠け心がある人は反省ができません。これが、心に地獄ができる理由です。
(あるいは、あの世で地獄に堕ちる理由です。)
・霊的な自己が50%を超えると、光の循環、善の循環が始まります。逆に、肉体的な自己が50%を超えると、闇の循環、悪の循環が始まります。

今回の結論

・苦しいときにこそ、がんばって、霊的な自己が50%を超えるように努力精進すべきです。

 

SEB06 『永遠の仏陀』第2章③ この世的価値基準を捨てる 

 🙂 第2章の深読のチャレンジの続き

・この記事は、シリーズSEB「『永遠の仏陀』講座」の記事です。

・シリーズSEBでは、『永遠の仏陀』の深読にチャレンジします。
・前々回から、第2章「真実の人となれ」について学んでいます。

・今回は、そのうちの一つのポイントである「この世的価値基準を捨てる」の箇所の深読にチャレンジします。

今回の要点と結論

① 執着を捨てる
・「この世的価値基準を捨てる」とは、「私たちの苦しみの原因である執着を捨てる」ということです。

② 平静心の幸福を考える
・この世的なできごとにほんろうされなくなると平静心の幸福を得ることができるようになります。

③ 使命実現の幸福を考える
・人生には、命よりも大切なものがあります。
・この世的な価値基準を捨てて、本来価値あるものを発見したときに、ほんとうの幸福を手にいれることができます。

 🙂 執着を捨てる

・私たちの苦しみの原因は執着です。
・「この世的な価値基準を捨てる」ということは、「執着を捨てる」ということです。

『永遠の仏陀』では、次のように説かれています。

偽りの人生を生きている人には、
明らかに共通する特徴がある。
彼らは、すべて、この世的なる物差しを基準としている。
地位や、名誉や、金銭の多寡、
そのようなものを、この上なく愛し、
己の心の価値というものを認めていない。(p60)

・私たちは、長い年月の間、この世的なる物差しを基準として生きてきました。
その生き方はしみついています。

・良心としては、「他の生き方がある」ということはわかっていても、この世的なる基準を100%捨てることはできません。

・心に沁みついた「この世的なる基準」を、「霊的な基準」「仏中心の考え方」に変えるのが「仏道修行」です。

 🙂 平静心の幸福

・この世的な基準を捨てる一つの方法は、「心の幸福」を知ることです。
・「心の幸福」の一つが、平静心の幸福です。

『人生の王道を語る』では、次のように説かれています。

お金がなくとも、肩書がなくとも、世の人びとの評判がなくとも、根本的なところで幸福を感じるときがあるのです。
そのときの心の状態を説明するとすれば、まず言えることは、ひじょうに静かな状態があったということではないかと思います。
それは、この世ならざる聖なるものを感じることがあるからだと思うのです。

「心を平らかにする」という、この一点を心に刻んでおいてください
私が言っていることの意味が、あるいは百数十冊以上の書物で言いつづけていることの意味が、必ずやこの一点のなかに集約されて見いだされるでしょう。

・平静心の幸福はほんとうの幸福です。
・この世的な幸福は偽りの幸福です。

・この違いが分かった人間だけが、真実の人生を歩むことができます。

 🙂 使命実現の幸福

・「平静心の幸福」よりは、さらに一段レベルが高い幸福が「使命実現の幸福」です。

・人生には、命よりも大切なものがあります。
ほんとうに価値あるものに命を捧げるのが真実の人生であり、ほんとうの幸福です。

『永遠の仏陀』では、次のように説かれています。

過去の求道者は、すべて、己の生命をかけて精進してきたのだ。
精進とは、そのようなものなのだ。
生命をかけて行うものだ。
生命をかけるとは、いかなることか。
それは、
自分の求めているものの値打ちを
知るということなのだ。
その真なる値打ちを
知るということなのだ。
これが、人生最大の悦びとなる。

・私たちは、なかなか、生命をかけて精進することができません。
・その理由は、「自分の求めているものの真なる値打ちを知らない」ということなのです。

・そこで、私は、「徹底的に法の価値を追究していきたい」と考えています。

今回の結論

徹底的に法の価値を追究する。

SEB05 『永遠の仏陀』第2章② 正直に生きる

 🙂 第2章の深読のチャレンジ

・この記事は、シリーズSEB「『永遠の仏陀』講座」の記事です。

・シリーズSEBでは、『永遠の仏陀』の深読にチャレンジします。
・前回は、第2章「真実の人となれ」の学びの三つのポイントを紹介しました。

・今回は、そのうちの一つのポイントである「正直に生きる」の箇所の深読にチャレンジします。

今回の要点と結論

① 真実の下に、ひたすら歩む
・はじめに、「真実の下に、ひたすらに歩む」というお言葉を魂で受け止めます。

② 自分のウソを反省する
・「真実の下に生きる」決意ができたならば、自分がついていたウソを反省します。

③ この世的な価値基準を捨てる
・自分のウソに気がついたなら、この世的な価値基準にほんろうされている自分の姿を反省します。

 🙂 真実の下に、ひたすらに歩む

・深読の第一のステップは、「真実の下に、ただひたすら歩む」という仏言を魂で受け止めることです。

『永遠の仏陀』では、次のように説かれています。

おまえたちは、
真実の人とならねばならない。
真実に生きる人間とならねばならない。
真実の下に、ただひたすらに歩むこと以外に、
みずからの歩み方があると思ってはならない。(P54)

・このお言葉を受けて、かすかでも魂がふるえるようなことがある方は、過去世で宗教的修行をされていた方だと思います。
霊格の高い方だと思います。

・そのような場合は、「心のうずき」を大切に生きていくのがよいと思います。
(「凡事徹底」とか、努力論にも反応される方だと思います。)

・上のお言葉が、あまりピンとこない方の場合は、修行として、「凡事徹底」とか「努力論」を学ばれるとよいと思います。
(「地道に努力をする気がおきない」という場合は、この世的な発展を目指して努力をする方向でよいと思います。)

 🙂 ウソの反省

・「真実の下に歩む」よろこびを感じたなら、次のステップは、ウソの反省です。

『永遠の仏陀』には、次のように説かれています。

私は、おまえたちに言っておく。
うそを言い続けて、真に成功する人はいないということを。(p55)
もし、うそ、偽りを使わなければ、
おまえたちが世に認められないというならば、
そのような成功は、やがて、仮面をはがれ、
暗い淵のなかに投げ入れられることになるであろう。
よって、正直に生きる者は、最後には勝利するのだ。
それを忘れてはならない。(p58)

・私たちは、生きている間にたくさんのウソをついています。
・自分では、「しかたがない」と思っていながらついているウソ、「悪いこと」とは知りながらついているウソなど、いろいろなウソがあると思います。

・「真実の人生を生きる」ためには、これを一つひとつ丁寧に反省することが大切です。
ウソを丁寧に反省していると、自分の本性が見えてきます。
自分が見たくない真実に直面することが人生の勝利への鍵です。)

この世的な価値基準を捨てる

・自分が見たくない真実の裏側にあるのが、この的な価値基準です。

『永遠の仏陀』では、次のように説かれています。

偽りの人生を生きている人には、
あきらかに共通する特徴がある。
彼らは、すべて、この世的なる物差しを基準としている。
地位や、名誉や、金銭の多寡、
そのようなものを、この上なく愛し、
己の心の価値というものを認めていない。(p60)

・私たちがウソをつくのは、この世的に生きやすく生きたいからです。
・しかし、そうした道を選ぶたびに、心が汚れ、ほんとうの幸福を捨てているのです。

今回の結論

・「真実の下にひたすら歩む」という本来の生き方を知り、「生きやすくいきたい」という汚れた心を捨てる。

 

 

 

 

 

SEB04 『永遠の仏陀』第2章 ほんとうの幸福を手に入れるために〇

 

・今回は、『永遠の仏陀』の第2章「真実の人となれ」からの学びです。

第2章の要点と結論

・第2章を実践的に学ぶと、ほんとうの幸福を手に入れることができると思います。人が真実の幸福を生きるために大切な、実践論的なポイントは以下の三つです。

① ウソをつかない
・道徳論的にはあたりまえのことですが、実践できれば「悟り」にすごく近づくと思います。

② この世的価値基準を捨てる
・実践論としては、「嫉妬心、劣等感を捨てる」ことです。

③ 自分の人生を生きる
・上の二つの項目の裏返しです。
・これが実践できれば、間違いなく幸福になれます。

 〇  ウソをつかない

・第一のポイントは、「ウソをつかない」です。言葉としては、ほんとうに幼稚園の子供でも分かる内容ですが、実践できれば「悟り」は近いと思います。

・人間は、だれでも失敗をします。ふつうの人は、失敗を隠そうとします。
・人間には、だれでも弱点があります。ふつうの人は、弱点を隠そうとします。
・社会のなかでは、ウソをつくと問題が大きくなります。大きな組織が傾いていくときは、そこに、必ず隠蔽があると考えられます。
・現在、中国のウソ、世界の政治家のウソが、世界経済の混乱を招いています。

・サンガのなかでも、ウソは問題となっています。悟っていない私たちは、うまくいかないときに、「外部にウソをつくか」、「自分にウソをつくか」、「仲間にウソをつくか」のどれかの究極の選択をせまられます。
(あるいは、「全部にウソをつく」ことも多いかもしれません。)

・ウソをつきたくなるところが勝負どころです。ぐっとこらえて「正直になる」ことが大切です。
(一番大切なのは、他人に対する態度ではなく、自分に正直になることです。)
・当然、だれしもがウソをつきたくなるようなところで、正直に生きていくことができれば、最後には勝利をします。仏は、それを見守ってくださっています。

[この世的な価値基準を捨てる]

 〇 この世的な価値基準を捨てる

・第二のポイントは、「この世的な価値基準を捨てる」です。
・具体的には、「嫉妬心、劣等感を捨てる」ということです。あるいは、「嫉妬心、劣等感の苦しみを捨てる」と考えた方がよいかもしれません。『永遠の仏陀』では、次のように説かれています。

自分の真実の姿に誇りを得てこそ、
人間は真に幸福であるのだ。
劣等感を持っていない人間はいないであろう。
しかし、それを隠すために、ことさら自分を偉しと表現するために、
上げ底の人生を歩んではならない。(p70)

・劣等感や嫉妬心の克服は、仏弟子にとって(慢心の克服)と共に、最大の魂修行の課題だと考えられます。
・劣等感や嫉妬心に苦しんでそこから抜けようと思って泥沼にはまる仏弟子は少なくないと思います。(反省をしているつもりで余計に執着してしまうということです。)そうした時は、マイナスを見つめるのではなく、自分に正直になり、自分の人生を愛する」ということを仏は教えて下さっています。

[自分の人生を生きる]

〇  自分の人生を生きる

・劣等感や嫉妬心の苦しみは、人との比較で出てくる苦しみです。私たちの苦しみの原因のかなりの部分は人の評価です。
・しかし、真実の人生は、人との比較のなかにはありません。人と関係なく、「自分の人生を生きる」ことができれば幸福を手にすることができます。『永遠の仏陀』では、次のように説かれています。

人には、それぞれ、自然なる生き方というものがある。
それぞれの人に、それぞれの中道がある。(p71)
おまえたちが心しなければならぬことは、
自分の名前で他人の人生を生きることではなく
自分の名前で自分の人生を生き切るということなのだ。

・『永遠の仏陀』では、自分の人生を生き切るための教えとして、「リンゴの木のたとえ」が説かれています。「リンゴの木のたとえ」の教えの要点は次の三つです。

➀ 今、できる最善を尽くせ
② 努力の成果として、目に見える結果を求めるな
③ 努力の過程と成果は仏が正確に評価してくださる

奇跡の実現に向けて

・ここにあげた三つのポイントは、天上界とつながるための三つのポイントでもあります。

・今、当サイトでは、7月から「真理の実証のための奇跡の実現」にチャレンジする取り組みを強化しています。
・この三つのポイントは、「奇跡実現のための三つのポイント」でもあると思います。

 

SEB03 『永遠の仏陀』第1章② 学びを深める三つのステップ

 

[『永遠の仏陀』の学びを深める三つのステップ]

〇 今回の要点

・今回は、「学びを深める三つのステップ」を学びます。
・三つのステップは以下のとおりです。

① 価値を知る
・真理の価値、真理を学ぶことの価値を知ることが第一のステップです。

② 心を開く
・真理を学ぶには帰依の精神が必要です。

③ 学びつくす
・価値を知り、帰依の精神ができれば、「真理を学びつくす」という姿勢がでてきます。

 〇 真理の価値を知る

・真理を深く学ぶための第一のステップは、真理の価値を知ることです。

・『永遠の仏陀』には、次のように説かれています。

仏法真理を知った悦びは、
どのような金銀財宝にもかえることができないほど
尊いものであるのだ。(p36)
あなたがたにとって、いちばん大切なものは、
魂を高めるということなのだ。
魂の糧となるものを選び取るということなのだ。
魂の悦びをもって、人生最大の悦びとせねばならんのだ。(p37)
法を知ることの悦びを、すべてのものの上に置け。(p39)

・仏法真理を学ぶよろこびは、魂にとって最大のよろこびです。
・しかし、私たちは、その事実をすぐに忘れてしまいます。
・そこで、『永遠の仏陀』では、次のようにも説かれています。

仏法真理を学びたる悦びは、
これは何物にもかえがたいものなのだ。
この事実は、何度くり返しても、充分すぎるということはない。

今回の結論

・私たちは、「真理の学びが最大の悦びである」という事実を、何度も何度も、心に刻むべきだと思います。

[学び尽くす]

 〇 自分勝手な解釈をしない

・真理を学ぶときに、私たちが間違えやすい点は、「真理を自分勝手に解釈してしまう」ということです。真理を信じているつもりになっている人間でも、「真理を自分の都合のよいように解釈してしまう」ことはしばしばあります。

・具体的には、次のような場合があります。

① 自分の不利益になるものは信じない
・真理には多面性、両面性があります。

・たとえば、真理は、「進歩」も「調和」も、よしとします。
・しかし、進歩的タイプの人は、「発展的な真理は受け入れるが、調和的な真理を受け入れない」というようなことが、しばしば起きます。

② 自分の理解できないものは、「ない」ことにしてしまう
・また、自分が理解できない真理を「ない」ことにしてしまうこともよく起こります。

・たとえば、「宇宙の法」が理解できないときに、宇宙人の存在を考えないで、社会の動きを考えます。
(あるいは、考えることをしません。)
・経済の動きが理解できないときに、経済のことを考えないで、会社の経営方針の批判をしたりします。

③ 自分の理解できるものだけを、「正しい」と考える
・上の例を逆に言えば、人間は、自分が深く理解できていること、得意なことから、物事を判断しようとします。
・たとえば、
お金持ちは、お金の観点からものごとを判断します。知性が発達している人は、知性的にものごとをとらえようとします。感性が豊かな方は、感性の判断を優先します。

・しかし、真理はすべての人が、幸福になるために説かれています。たとえ、自分が理解できなくても、自分にとって不都合であろうとも、真理は真理として厳然とあります。私たちは、すべての真理を理解することはできませんが、それを追い求めることによって、確実に幸福に近づきます。一見、私たちにとって不利と思われる真理もありますが、それを追究すれば、そこにほんとうの幸福への道が開けます。

 〇  無限の道を歩む

・上に述べたことを別の言葉で言えば、真理の学びには限界がありません。真理を学べば学んだけ幸福になれます。真理を学びつくそうと思う心が必要です。

・『永遠の仏陀』では、次のように説かれています。

仏より流れ出すところの、一切の教えを、学ぼうと誓え、
仏より流れ出すところの、一切の真理を、学び尽くそうとせよ。
そうであってこそ、
あなたがたは無限の力を得ることができるのだ。
遠き道を歩んでゆかんとするならば、
この力を身につけよ。
魂の糧を、一つ残らず、食べ尽くすのだ。
そして、永き道のりを、共に歩いてゆくのだ。(p49)

今回の結論2

・仏の教えは無限です。しかし、魂の生命も無限です。私たちの努力の可能性も無限です。
・その無限の道を歩んでいくことが、魂の最大の悦びです。

 

 

 

SEB02 『永遠の仏陀』第1章① 信仰を深める三つのステップ

・この記事は、シリーズSEB「『永遠の仏陀』講座」の記事です。
・シリーズSEBでは、『永遠の仏陀』を深読していきたいと思っています。

 🙂 『永遠の仏陀』第1章 学びの要点

・第1章で、深読したい点は、次の二点です。

① 信仰を深める
・『永遠の仏陀』の学びの前提は、信じる心です。

② 学びを深める
・『永遠の仏陀』を深読するための要点を学びます。

今回の要点

・今回は、「信仰を深める」ための三つのステップのお話をします。
(次回は、「学びを深める」ための三つのステップのお話をします。)

① 心のうずきの発見
・「菩提心の発見」です。

② 求める
・菩提心の具体化が「求める心」です。
・人間は、そもそも「永遠に仏を求める存在」です。
「悟りを求める」という言い方もできます。)

③ 仏の愛の発見
・求めると、「仏の愛の発見」ができます。
(仏の愛の発見をできることは、人間にとって最大の幸福の一つです。)

 🙂 心のうずきの発見

・深読の方法は、経典をはじめから一文づつ丁寧に読んでいくことです。

・『永遠の仏陀』は、「仏弟子の証明」から始まります。
「仏弟子の証明」は、心の内に菩提心を発見することです。
・本文では、次のように説かれています。

自分の心の内に、よくよく問うてみるがよい。
さすれば、深く、強く、求めるものがあるであろう。
たとえ、その道、厳しくとも、
力強く生きたいという願いがあるであろう。
その強い願いこそ、菩提心というべきものであるのだ。

結論1

・心の内に「求める心」、「菩提心」、「心のうずき」を確認することが『永遠の仏陀』を学ぶ第一歩になります。

 🙂 求める心と仏の愛

結論2

・菩提心を確認できたならば、それを具体化して、光の循環をつくります。

・光の循環の内容は、次の通りです。

① 「信ずる」
・自分の認識を超えた世界があることを信じます

② 愛を感じる
信じることができると、仏の愛を感じるようになります。

③ 求める
仏の愛を感じることができるようになると、それを求めるようになります。

④ 与えられていることがわかる
求めれば求めるほど与えられていることがわかります。

⑤ 信仰心が深くなる
・すべてが与えられていることが分かると、信じる心が深くなります。

光の循環を創るには

・「菩提心と仏の愛」の循環には、三つの側面があります。

① 霊的な時間とこの世的な時間
・霊的な時間を持っていると、この感覚は深まりますが、この世的な時間を生きていると、この感覚は薄れていきます。

② 習慣化と忍辱の心
・したがって、この循環を自分のものにするには、時間がかかります。
・経験的には、信仰生活の習慣化が必要です。

③ 蓄積効果と無限の可能性
・「仏の愛」の感じ方には様々な感じ方があります。
・あるとき、突然に感じることができるようになることが多いと思います。

・そのあと、信仰生活を深めていけば、深くなった分だけ、深く感じることができるようになると思います。
(逆に、信仰生活から遠ざかれば、すぐに感じなくなります。)

SEB01 絶対信仰を目指すための『永遠の仏陀』の読み方

・新しいシリーズとして、「絶対信仰を目指すための『永遠の仏陀』の読み方」を開始します。

 🙂 『永遠の仏陀』のまえがき

『永遠の仏陀』のまえがきには、次のように説かれています。

本書を手にして、そして読み進めるならば、あながたは、確かなる勝利を手にするであろう。本書を読み、味わい、理解し、かつ実践して、人生に敗れるということはありえない。あながたは、いま、最高の瞬間を手にしているのだ。
 この書をとくと読み進むがよい。さすれば、あなたがたが単なる物質の塊ではなくて、黄金色に光る永遠の存在であることが分かるであろう。

この「まえがき」の解説として、次の、三点お話をしたいと思います。

今回の要点

① 最勝の書
・主は、この書を学んで「人生に敗れるということはありえない」と説かれています。
・このお言葉を信じて、確かな勝利を手に入れたいと思います。

② 深読
・主の教えは、深いものがあります。
・教えは、じっくりと読み、味わい、理解し、実践する必要があります。

③ 黄金色に光る永遠の存在
・「会員ページ」の目的は、「自分が霊的存在(=光の珠)であることを実感すること」です。
・そのために『永遠の仏陀』を学び、実践していきたいと思っています。

 🙂 最勝の書であるということ

・はじめに『永遠の仏陀』(=真理)の価値について学びます。

『永遠の仏陀』では、次のように説かれています。

仏法真理を知った悦びは、なにものにもかえがたいものだ。
仏法真理を知った悦びは、どのような金銀財宝にもかえることができないほど尊いものであるのだ。(p36)

ある時代の、ある時に、わが法を学ぶために、生命を捨てることをも惜しいと思わなかった者は数知れない。
その教えを知るためには、自分の生皮をはいででも、そこにでも教えを書きとめたいと願った求道者もいた。(p116)

頭上に飾る一つの純金の王冠よりも、一巻の仏法真理の書を選ぶことが、どれほど素晴らしいことであるかが分かるだろうか。
それは、人間として生まれて味わいうる、最大の悦びであるのだ。(p120)

・「仏法真理の学びは、ほんらいは、人生において最大の価値を持つものであり、最高の悦びをもたらすものである」ということです。

 😉 深読するということ

・上に述べたようなほんらいの姿を呼び起こすためには、真理の書を深く読み、味わい、理解し、実践する必要があります。

・私は、『永遠の仏陀』に説かれいてる教えを本気で実践しようと思っています。
・そのために、丁寧に一行づつ読んで、「実践できているか、できていないか」を考えています。

・「実践できていない」ときは、その理由を考えます。

・また、「主のお言葉の真意が理解できていない」と思ったときは、そのお言葉の意味を公案のように考えたり、他の書籍を学んだりしています。

・このシリーズでは、私が深読しているお言葉の内容と、そこで得た智慧を紹介したいと思っています。

黄金の光の珠となる

・また、「主のお言葉を理解できる」ということは、「魂で感じとれる」ということです。
・それは、「光を感じる」ということでもあります。

・そして、その教えを実践することは、「光の存在となる」ということだと思います。

今回の結論

『永遠の仏陀』を深読して、光の珠となる。