SEB15 『永遠の仏陀』第5章② 仏は法なり、仏は教えなり〇

 

[仏は法であり、教えである]

・本講座の目的は、『永遠の仏陀』のまえがきの「本書を読み、味わい、理解し、勝つ実践して、人生に敗れることはありえない」というお言葉を手がかりにして、人生に勝利するために、『永遠の仏陀』を深読することにあります。しかし、『永遠の仏陀』の第5章には、実践することが難しいお言葉が続々とでてきます。このお言葉を探求していきたいと考えています。

・少し長いですが、仏言を味わいます。

仏言

このわが教えは、
単に、おまえたちの心を救うがためにのみ、
説かれているのではない。
この教えを本として、全宇宙は統べられているのだ。
この教えを実現すべく、
人類の過去、現在、未来があり、
人類の過去・現在・未来があり、
人類なき過去にも、
この教えは厳然としてあり、
人類なき未来にも、
また、あるであろうということを、
私は明言しておく。(p219)

教えとは、姿を変えたる仏そのものであるということを、
おまえたちは知らなくてはならない。(p220)

仏とは、法であり、
仏とは、教えであるのだ。
わが説く、この法こそが、
わが説く、この教えこそが、
仏の実体の本質であるのだ。
わが教えを学ぶ時、
おまえたちは仏の姿を見たのである。
わが教えを聴くとき、
おまえたちは仏の声を聴いたのである。
わが教えを理解する時、
おまえたちは仏の心を理解したのである。(p222)

〇  私がチャレンジしようとしていること

結論

・「仏の教えが、私たちの存在を超えた存在である」ということは、「私たちは、仏の教えを完全に理解することはできない」ということです。しかし、それでも、仏は私たちに向かって、「仏の教えを理解せよ」と説かれています。したがって、仏の教えを理解するように努力することが仏弟子の道だと思います。

〇 実践の内容

・私が実践しようとしていることは、以下の通りです。

① 法身を感じようとする
・仏には、「応身」(地上の仏陀)「報身」(天上界の仏)「法身」(法としての仏)の三相があります。私は、「法身」を感じようと努力をしています。

② 仏光物理学の三つのテーゼ
・私は、仏光物理学の三つのテーゼを中心に、「法身」を感じようとしています。特に意識をしているのが、「縁起の理法」「念いは実現する」「波長同通の法則」です。世の中に起きていることは、すべて、「縁起の理法」にしたがって起きています。私たちの心で念ったことは実現します。私たちの思いは、波長同通であの世の世界に通じます。
・この三つを、いつも感じながら、人生をより良き方向に進めようとしています。

③ 朝の瞑想と『正心法語』
・具体的な方法としては、朝に瞑想をしているときに、「この宇宙に光(=法=仏)が遍満していること」を感じようとしています。『真理の言葉・正心法語』を読誦する時も、そのイメージを持っています。

〇 私が実感していること

・私は哲学が好きで、理系の研究者でもありますので、抽象的な言葉を感じる力は鍛えてきたと思います。(たとえば、数学の得意な人間は、運動を表す数式を見て物が動く姿を想像できます。)哲学的な言葉も、死んだ理論ではなく、「生きた運動法則」であると考えると理解できることが多くあります。
・抽象概念が運動している姿を感じようとする習慣をつけていると、少しづつ、見えないものが見えるような感じがしてきます。
・朝の瞑想、『正心法語』の読誦、真理の実践を重ねることによって、少しづつ見えないものが見えてくるようになるのではないかと思っています。

 

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