【信じる】
・デール・カーネーギの「道は開ける」から学ぶ「幸福になるパターン」の二つ目は、「信じる」ということです。
・デール・カーネーギ―の思想の根本にあるのは幼いころの暮らしと両親の生き方です。
・カーネーギ―は、次のように言っています
家には年に一度豚を売ったとき以外、現金はほとんどなかった。・・・
両親は一日十六時間も精一杯働いたが、それでも借金に追われどおしで、不運に苦しめられた。ごく幼いとき、大洪水でトウモロコシ畑や牧草畑が水をかぶって滅茶苦茶になり、五年も六年も穀物が打撃を受けたことを覚えている。・・・
父は悩んだ。身体をこわした。食欲がなくなり、毎日畑で力仕事をしているにもかかわらず、食欲増進剤のお世話になる始末であった。・・・
ある日、父は橋の上に馬車を止め、長いあいだ川の流れを見つめながら立っていた。-いっそ、ひと思いに飛び込んでケリをつけてしまおうかと思案しながら。
後になって父は、そのとき飛び込まなかったのは、神を愛し、十戒を守ってさえいれば何もかも良くなると、いつも誠心誠意信じきっていた母のためだったと、私に語ったことがある。母は正しかった。最後には何もかもうまくいった。
・また、「道は開ける」には、失意落胆にうちのめされていた書籍セールスマンの話が出ています。
・ジョン・アンソニーは、法律事務所を閉鎖して、周到な準備をして法律書籍の販売会社をつくりました。
・しかし、書籍はいっこうに売れず、販売支配人から前渡金の停止の通告が来て、旅先のホテルの勘定も払えず、帰りの汽車賃もない状態でした。
私はトボトボとホテルの部屋へもどってきた。私は完全にうちのめされてしまった。意気阻喪して、どの道をとればいいのかわからなかった。生きようと死のうと、どちらでもよかった。
・そんな状態でアンソニーは、アウグスティヌスと同じように聖書の一節に出会います。
・そこには、次のように書かれていました。
何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことを思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの父は彼らを養っていて下さる。・・・まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。
「私が祈りを捧げ、これらの言葉を読んでいたときに、奇跡が起こった。神経の緊張が消え去り、不安・恐怖・悩みは、心暖まる勇気・希望・輝かしい信念に変わった。
私はホテルの勘定を支払う金さえなかったけれども幸福だった。私はベットにはいって、実に数年ぶりにグッスリと眠ったー完全に悩みから解放されて。
・そして、翌日から、なんと!、アンソニーの書籍販売は快進撃をはじめたのです。