MS212b 神様がいるのに、なぜ、戦争が起きるのか

【神様がいるのに、なぜ、戦争が起きるのか】

・唯物論者が信仰している人に対して素朴にぶつける疑問として「神様がいるのに、なぜ、悲惨なできごとが起きるのか」という疑問があると思います。

・「なぜ、戦争があるのか」「なぜ、罪のない幼い子が死ぬことがあるのか」「なぜ、病気で苦しまなくてはいけないのか」等々

・その疑問に対して、宗教家は「魂を鍛えるため」と答えます。
(これについてはこの後で詳しく説明します。)

・しかし、それでも納得しがたいのは「悪人が栄え、善人が苦しむことが多く見える」ということです。

・ここで、もう一つの説明がでてきます。

・それは「悪とは自由と自由の相克である」という説明です。

悪は、自由と自由がぶつかり合うことによって起きるのです。
・世の中には100%の悪人も、100%の善人もいません。
(つまり、「悪人が栄え、善人が苦しむ」と見えるのは勘違いだということです。)

悪とか善は、人・時・所によって決まってくるものです。
・つまり、「善悪は判断基準によって変わってくる」というものです。

・それでは、神様の目から見た善悪というのはあるのでしょうか?
・もちろんあります。

・神様の目から見た善悪とは、より大きい見地から見た判断です。

・たとえば、自分のための善は、周りの人々の悪となることはよくあります。
(つまり、周りの人のための善の方が神様の見方に近いということです。)
・身内の人間のための善が、社会の悪になることもあります。
・刹那的幸福のために一生を棒に振る人も多くいます。
・世のため、人のために自己犠牲の精神を発揮した、イエス・キリストやソクラテスのような方もいます。

・つまり、「自由と自由がぶつかりあって悪が生じたときに、より大きな見地から見た善を考えるというのが正しいなのです。
(これがwin-winの道です。)

・それでは、一般論で、より大きな見地からの善を考えるにはどうしたらよいのでしょうか。
・それを次回に話します。

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