・この記事は、シリーズSD「絶対信仰を目指すための『正心法語』の読み方」の記事です。
🙂 仏中心の考え方
・『仏説・正心法語』の五つめの経文は、「仏説・八正道」です。
・「八正道」とは、「仏の御心を御心として生きるための『正しさ』の基準」です。
・ここでは、「絶対信仰」に至るための「正しさの基準」について考えます。
① 信仰は幸福の手段ではなく、目的である
・方便としては、「幸福になるために信仰する」という考え方もありますが、ほんとうは「信仰心を強くする」ことが地上人生の目的です。
② すべてのものに意味がある
・そもそも地上人生は方便の世界です。
・すべてのできごとには、隠された意味があります。
③ 心の中に宇宙(時空間)がある
・ほんとうの世界は「心の世界」です。
・すべては、心のなかにあります。
(「心が霊界につながっている」といういい方もできます。)
🙂 信仰は、幸福の手段ではなく、目的である
・一つ目は、「信仰は、幸福のための手段ではなく、目的である」ということです。
・「方便の教え」としては、「『貧』『病』『争』などの『苦しみ』から脱出するために、教えを実践しましょう」といういい方をします。
・しかし、真実を述べれば、そうした「貧」「病」「争」の「苦しみ」は、心を向上するための問題集として仏から与えられたものです。
・「貧」「病」「争」がほんとうの問題なのではなく、「心の向上」の方が中心のテーマです。
・さらに、言えば、「心の向上」とは、「信仰心を深める」ことに他なりません。
・つまり、私たちは、「信仰心を深める」ためにこの地上に生まれてきているのであり、信仰の方が目的なのです。
🙂 すべてのものに意味がある
・上に述べたように、私たちは魂修行のためにこの地上に生まれてきています。
・「仏の心を心として生きる」とは、「この世が修行のための仮の世である」と知って生きることです。(参考『太陽の法』)
・魂修行の観点から見ると、この地上の経験に無駄なものはありません。
・成功も失敗も、魂を向上させてくれます。
・すべての人は、「愛を与える」対象になります。
・すべてのできごとは、学びの材料になります。
・すべての体験は、反省の材料になります。
・私たちは、すべてのものごとを通して発展することができます。
・そう考えたときに、人生に失敗はなくなります。
・そう思えないのは、私たちのものの見方に誤りがあるからです。
・私たちは、生きやすい生き方を求めます。
・私たちは、人の称賛を求めます。
・私たちは、楽な生き方を求めます。
・私たちは、マイナスのない生き方を求めます。
・この人生観を正すところから反省は始まります。
🙂 心の中に宇宙(時空間)がある
・三つ目は、「心の中に宇宙がある」ということです。
・私たちの、通常の感覚では、私たちは時空間のなかを生きています。
・こうした感覚は、自分を中心にしたものの見方を生みやすくなります。
・話が難しくなるので、結論だけを言います。
・「自分が時間のなかを生きている」と思うと、そこに焦りがでてきたり、過去の失敗体験をひきずったりします。
・そうではなくて、「自分の進歩のために時間がある」と考えると、未来に向けた積極的な考えができるようになります。
・同様に、「多くの人のなかで生きている」と思うと、人の否定的な想念を受けやすくなります。
・そうではなくて、「自分が愛を与えるために多くの人がいる」と考えると、「愛の人生」が開けます。
・「心の中に宇宙がある」と知るためには、禅定修行が必要です。