SS007 『太陽の法』第6章 - エル・カンターレへの道

・この記事は、シリーズSS「絶対信仰を目指すための『太陽の法』の読み方」の記事です。
・今回は第6章「エル・カンターレへの道」のお話です。

・テーマは二つです。
① にせものの自分を捨てる
・私たちは、人生修行のためにこの地上に生まれてきます。
・人生修行の目的は、ほんとうの自分の発見です。

・しかし、ほんとうの自分を発見しようとしてもなかなか発見できません。
・ほんとうの自分を発見するためには、「ほんとうの自分を発見しようとする」よりも「にせものの自分を捨てる」ほうがかんたんです。

② 主の使命の実現
・今は、至高神であるエル・カンターレが御降臨されている奇跡の時代です。
・主の御降臨の奇跡の時代に生まれ合わせるということは、永遠の転生で唯一のチャンスです。

主の使命実現のお手伝いをすることは、すべてのことに優先する最優先事項です。

 😐 にせものの自分を捨てる

・にせものの自分は、四つ説かれています。

① 他人から愛を奪い取る自分
・人生の苦しみの原因は奪う愛です。
・『太陽の法』では、次のように説かれています。

にせものの自分の筆頭とは、他人から愛をもぎ取る自分です。(p298)
「与えきり」の世界のなかに生きておりながら、人間は、なにゆえに奪うことばかりを考えるのでしょうか。
仏の愛を知らない人だけが、他人の愛を奪い取るのです。(p299)
自己愛の心は、他人と自分を隔てる壁となり、やがては、地球全体に、動物園のような金網の柵をはりめぐらすことになるのです。(p300)

② 仏を信じない自分
『太陽の法』では、次のように説かれています。

もっともあわれむべきなのは、仏を信じていない人たちです。(p300)

・信仰心がない人間にはわかりにくいとは思いますが、信仰心のない人間は、「自我我欲」に生きるか、「マイナス思考になるか」のどちらかになります。

③ 精進をしない自分
・努力のないところに成功はありません。
・にせものの私たちは怠け者ですが、ほんとうの私たちは勤勉にできているのです。

④ 執着だらけの自分
・何が執着になるかは、人によって変わってきます。
・一次元上の目で見れば、ほとんどすべての欲は執着です。
・「自分は執着だらけ」と思って反省した方が実情に近いと思います。

・にせものの自分を捨てる方法は、理論的にはシンプルですが、実践は難しいです。
・どれも、一生をかけて取り組む問題です。
とにかく頭に入れておいて、毎日にように反省することが必要だと思います。

 🙂 主の使命の実現

『太陽の法』は、エル・カンターレの使命があきらかにされた経典です。

七月には、潜在意識の宝庫が開かれ、私自身の隠された潜在意識である、ゴータマ・シッダールタ―、釈尊が、古代インド語を伴いながら、仏法流布の使命を厳しく、かつ熱っぽく語りました。そして、私自身が、釈尊の魂グループの中核で、エル・カンターレという霊存在であることを告げました。そして、その使命は、仏法の流布による一切の衆生の救済にあることを語りました。(p362)

『太陽の法』が説かれた一番の目的は、主の使命実現のための弟子への呼びかけです。

世界はいま、浄化されつつあります。人類は、エル・カンターレを信ずることによって、最終にして、最高、最大の救いを得られるのです。
「我を信じ、集い来よ」-全世界の人々に、このメッセージを伝えてください。私は、あなたがたの永遠の師なのです。(p371)

・人間の本質は使命です。
・このことについては、いずれ詳しくお話をします。

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