MS231c アウグスティヌスの回心

・この記事は、シリーズMS「奇跡物語」の記事です。

【アウグスティヌスの回心】

・前回は、「アウグスティヌスは肉欲と霊性を求める理性の間で苦悩をしていた」というお話をしました。
・今回は、回心をしてその苦悩から脱する時ののお話です。

・「告白」では、回心の場面が次のように描かれています。
・まず、(回心の)決心を仕掛けては、決心できない様子が描かれています。

わたしは心のなかで、「いまこそいまこそ」とひとりごとをいっていた。そういいながらももう決心しかけていた。わたしはもう決心しかけていたが、しかしじつは決心しなかったのである。・・・そしてもう少しでとどくところであったが、なおすこしたりなかった。・・・わたしが別人になろうとする瞬間は近づけば近づくほどますます大きな恐怖をわたしの胸に打ち込んだ。

・こうした苦悩のなかで、貞潔の声はだんだん大きくなり、誘惑の声はだんだん微弱になっていきました。
・そして、アウグスティヌスは悔恨の涙を流します。

深い考察によってわたしの悲惨のすべてが心の奥底から引き出して、「わたしの心の前に』積み上げたとき、激しい嵐がおこって、激しい涙のにわか雨をもたらした。わたしは声をあげて涙を流しつくそうと立ち上がって、アビリウスから離れた。

・この後に「取って読め、取って読め」という神の声を聞くのです。

わたしの心はひどく苦しい悔恨のうちに泣いていた。するとどうであろう、隣の家から、男の子か女の子かは知らないが、子供の声が聞こえた。そして歌うように「取って読め、取って読め」と何度も繰り返していた。・・・それでわたしはあふれ出る涙を抑えて立ち上がり、わたしが聖書を開いて最初に目にとまった章を読めという神の命令に他ならないと解釈した。

・聖書には次のような言葉が出ていました。

最初に目に触れた章をだまって読んだ。「宴楽と泥酔、好色と淫乱、争いと妬みを捨てても、主イエス・キリストを着るがよい。肉の欲望を充たすことに心を向けてはならない」。・・・この節を読み終わると、たちまち平安の光というべきものが私の心の中に満ち溢れて、疑惑の闇はすっかり消え失せたからである。

・アウグスティヌスは悔恨の涙を流すことで、心の曇りがとれ、神の言葉(光)を心の中に満たすことができました。

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